ある翻訳者
- 2015/07/05(Sun) -
釜ヶ崎の牧師だという人物が、かの聖書の翻訳を自らも行っているという。


有名な、「悔い改めよ」 ということは、「苦しみを与えている人の側から見よ」 という訳語になるという。

「柔和な人は幸いである」 は、「抑圧にめげない人は神からの力がある(=神の力がある)」 が正しいという。



私は、聖書は、ゴート語を含む古代ゲルマン諸語の訳でしか読んだことがないが、

きっと、指摘のようなことが随所にあるのであろう。




翻訳者、


私の職業、というものも、そういうことになるだろう。


翻訳 とは、不思議な作業である。


自分で創作した作品ではないながら、ことばひとつひとつ、その結果、書物全体がもつ空気まで左右することになるのが翻訳である。



尊い作業をする人物を知った休日の朝である。


* * *
「人は、どんなにみじめな死に方をしようが、それで、
その人の人生が、みじめだった、ということはない。
イエス自身も、十字架上で、
我が神よなぜ私を見捨てたのか、と言って亡くなった。
私も、修道者らしい死に方ができる自信ないです。
それでもいいんだ、ということを教えてくれるのが・・・」

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