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愛情のあり方
- 2015/07/02(Thu) -
種(しゅ)の異なる同棲者たちに、

手術をする、ワクチンやその他の注射を受けさせる、無論、好物を与える等々、

明日にも私に愛想をつかして逐電するかもしれない毛物たちに全国最低賃金で働く離島の私が世話をするのは、

なぜなのだろうか。



そんな時間と労力があるなら、

いまからでも遅くはない、嫁をもらって自分の子どもをつくれ、

と、先日、弟を亡くした私に真顔で母親や伯父たちが言うのだから笑える。私ももう58だ。



◆◇◆◇◆◇



私は親になったことがないから、親の感情を知らない未熟者なのか。


物故した私の父は、死ぬまでの40年間私と暮らしていず、会ったのも、


私がスウェーデンから一時帰国していたころの2、3回くらいであった。


そんな私に十代終わりまで出資した父は、なぜだろう。


家名を上げるため私に期待したのか、いや、やはり、


自分の子どもだから、無償の愛を注いだのか、


単に、家族構成員として有能になってもらわないと困るとおもってのことか。



* * * * * * * *



私にも、たぶん、無償の愛情を注いだ、血の繋がらない子どもが二人いた。


「授業参観」 という記事で書いていいる アキラ と、


カメのアプの話で書いた もー という娘である。どちらも小学生時代を私と過ごした。その母親(別人だが)とも。


私は彼と彼女をともに、自分の一部のように愛した。


あれが、親の愛情だろう、と当時確信した。


私が知るスウェーデン人映画監督も、どういうつてか、北朝鮮人の娘を養女にしていた。


地の繋がりのない子どもにも、愛情はもちうる、と言えるだろう。


愛情というと、男女のそれを真っ先に思い浮かべがちだが、


考えたら、


パートナーとして、セックスもして生活の相談相手に対する愛情もあれば、


子どもに対する愛情もあり、


いや、職場同僚に対する正しい愛情もあり、


部下に対する愛情、


教え子に対する愛情、


隣人に対する愛情、


そして、種の異なる生物に対する愛情、


など、愛情の正しいあり方は、この世のあらゆるものに無限にあるのではないか、


そして、親子の愛情も、


そうしたことの一形態に過ぎないのではないか。






そう考えると、


私は、


子どもに対する愛情とか、種の異なる生物に対する愛情とか、よく知ることができている。

 
いや、離島の私のところに勉強に来る子どもたちのおかげで、


生徒、あるいは、弟子、に対する愛情も気づかせてもらえた。


そして、そういえば、東京の職場で、部下に対する愛情を気づかせてくれた若者もいた。


幸いなことに、パートナーへの愛情もいくつか。



◆◇◆◇◆◇



ヒトの世界は、ヒトそれぞれがみな考え方が違うのが当然なので、相互理解などありうるはずもなく、


それでも、組織や社会が成り立っているのは、みんな自己保存ために折り合いをつけているからだ、


という言説があり、それはそうだとおもうが、


かように、愛情が無限の種類、無限の方向にありうるということでもあるならば、


それはそれで、


ヒトの世界も捨てたものではない、とおもうのである。



アキラと

ap

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