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ある感情
- 2015/03/02(Mon) -
Riddick (2013)

という映画を観た(離島だから、無論、ネットである)。

日本のサイトでは、「ギャラクシーバトル」 という副題がついていて、「どこがギャラクシーなんだ」 と観て憤慨した人々の記述もあるが、これも、字幕翻訳者と配給会社と日本人大衆だけの愚である。


愚はさておき、









* * * * * * * * *




私はこれまでもいまも、両手で数えるのがやっとか無理な数の四脚毛物と暮らしてきている(←英語なら現在完了でタノム)



たくさんの異種(種が異なるということである)だから、




好き、とか、嫌い、というのも阿呆な話である




勝手に彼ら彼女らの毛並や模様や時折の行動で好悪を言うのは、

当の者たちにはどうでもよい事柄だからだ

こっちの偶像に過ぎない








ところが、私のような者でも、





その死にあって、





自分の胴、スパインそのまま自分が縦にぶった切られたような感情を抱いたものが何頭かいる




この感情はなんだろうと思い続けてきて、




きょうやっと、Riddick 彼が同じ感情を表出してくれて、自分の場合もわかったというわけだ.





その自分の中の感情、それを日本語ならばある言葉で言いうるが、

それを、世界のよそではなんと言うんだろうかと考えてみたが、




北欧語でも、英語でも、ドイツ語でもおもいつかなかった。








仕方なく、自分が抱いた感情の日本語を和英辞書で確認したらとんでもない訳語で、その英語から英語スウェーデン語辞書、スウェーデン語デンマーク語辞書、スウェーデン語フィンランド語辞書、スウェーデン語ドイツ語辞書と発展しても、自分の感情とぴったりの単語に出会わなかった。








各国語には「意味領域」 というものがり、等価と思われている異言語の単語同士でも決してその意味の領域がぴったり重なることはない、ということは、私の恩師 原 實 先生から私がいまから30年以上前に聞いたことだが、先生はその方向で偉大な学業をなしてこられたのに私は道をはずれてしまったのがもったいないおもいばかりだ。



そんなことも思い出し、





そして、





偉大な先生の小さな亜流の徒して今後できる新しいおもしろいことをおもいついた日であった。






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