佐野さんのことば
- 2016/08/24(Wed) -
「ほしけりゃその猫やるよ」 

これは、私が100万回生きた猫の著者佐野洋子さんをスウェーデン語版翻訳の打ち合わせで訪問したときの佐野さんのことばだ。「猫」 とは、佐野さんが飼っていらした白猫である。
西暦2000年の冬のことである。



その猫が、私と佐野さんが炬燵で蜜柑を食べながらテレビを観ていたときに、佐野さん側でない私の体側にぴったりよりそっていたので、佐野さんがそう言ったのである。佐野さんを知る人の想像の通り、かなり、投げやりに。








「その猫きみになついているようだから、連れていっていいよ」

これは、私が先日、私の家に勉強に来る沖縄の離島の男子高校三年生に言ったことばだ。私は佐野さんとは違い、微笑んで。

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そして、自分でこう言った時、ああ、これは、昔自分が言われた佐野さんのことばと同じだな、と冒頭の佐野さんとのことを思い出したのである。





私が高校生にそう言ったのは、私のところには毛物が八名おり、そのうちその高校生になついているものがいるので、母子家庭の彼の家なら、私のところと変わらぬ愛情をその猫に注いでくれて、猫にとっても、こことは違っていてもそれなりによい環境で生きられるのではないか、とおもったからである。






佐野さんは、スウェーデンから一時帰国していた私に本心から冒頭のように言ったのか、もしそうなら、その白猫が、私とともにスウェーデンに渡って、広大な自然の中で穏やかに生を全うすることを願ったのだろうか。佐野さんも持病があり、私も持病があり、自分が先に逝って猫が残ったときのことを考えると、信頼できる者に愛する毛物を託したい、と私はおもっているが、佐野さんもあのときそうだったなら、・・・・・・しかし、私は、そのときの佐野さんのことばを、あの人の常である、突き放した強気な発言の一つととらえて、ちゃんと考えてみもしなかった・・・・・・






白猫も、もう、この世にいないであろう。どちらが先に逝ったのか知らないが、飼い主の死後も白猫がだれかに飼われておだやかに生き切ったとなんとなくおもっている。佐野さんが、最後、たったひとりで逝ったとはおもいたくない。










私も、もうそろそろ仕舞いかもしれない。







私のところの毛物たちは、私以後の生を、自分たちで全うするしかない。




でも、きっと、それを彼女彼らはうまくやることだろう。



私よりも、ずっと、うまくやることだろう。


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