恩を巡る
- 2014/10/05(Sun) -
ヒトは自分の行動の動機がはっきりわからないことがある。



それは、自分をそのように駆り立て、自分に自分を肯定させる出来事や知識を自分で覚えていないだけなのであろう。





* * *    * * *    * * *




私が貧乏学生だった二十代に私に東大の大学院へすすめと学部の先生がおっしゃった。



私は、その先生が紹介してくれた出版社のアルバイトをしないと生活できないのだが、先生は、東大に話は通してあるが恥ずかしくない程度の点数はとれ、と私に3か月はしっかり勉強生活をするようおっしゃった。


私の生活費勉強費として、三か月分、20万円を財布から出して。


当時の私は三畳間住まいで、それだけあれば、なんの憂いもなく、机に向かえた。





後年、ある年の瀬、その二十万円を先生に返したとき、先生は、「確かに返してもらったよ」 とおっしゃったあと、私から受け取った金の入った封筒を 「ちょっと早いが、お年玉だ」 と言ってそのまま私にくださった。





ところで、よく、高校生に読んでやる大学センター試験の英文に、自分が受けた恩を、その恩恵を垂れてくれた人が、自分にではなく、いつかきみが出会うだれかにしたまえ、と述べる場面がある。








私は、離島で学習塾めいたことをしているが、なんと、月謝をきちんと払う家庭は全体の20パーセントぐらいなのである。




それが、沖縄の倫理なのか、離島の風習なのか。 同業者たちは、そういう、払えるのに払わない家庭は切り捨てるべきだ、と言うが私はそうしない。





私が、月謝をもってこないのに教える子は、私が、鍛えがいがあるとおもった子だ。そんな子は、親がお金をくれなくても、自分のお年玉や小遣いで払おうとするが、高校に上がるまでは、私はそれも断る。高校生になると、自分でアルバイトしても私に習いに来る。

そんな私の流儀を周囲の友人は嗤い、否定するが、私は変えはしない。






私は、自分がかつて為された恩恵をだれかにまた施しているだけなのだから。





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