おもてなし、とか
- 2017/07/07(Fri) -
高校生が、推薦入学を受験する大学の小論文の過去問だといって、曽野綾子さんの、「おもてなしの違和感」 というタイトルの文章をもってきた。それで原稿用紙二枚を書くのだそうだ。


私は、曽野さんの文章を読む前に、欧米人にアピールすることと日本人が受ける印象とは違う、ということを話した。


例として、黒澤明監督の自伝的映画についてふれた。無論、欧米向けの自伝映画である。


日本の風景や事物の描写が、現実にはありえない色調でアピールしていたそれは、欧米人の目には東洋の美に瞠目させただろうが、日本人からすると、そんなものないだろう、というしらけた印象しかない。だから、日本では、そのクロサワ作品は流れない。流れる必要もない。





「おもてなし」 も、そんな精神が廃れたところに海外アピール用に担ぎ出された言葉のようで、違和感、が私にもあった。



そんなことをうけて、いま、高校三年生は、自分の体験で文章を私の家で書いている。




若者と接しているだけで、年輩者もまたものをおもうことができるのだ。



私が若いころは、私には、


老いるということは、使い物にならなくなる、ということと同義だった。


仕事や勉強に精励できなくなり、


怠けているところしか目に付かないのが私の周囲の初老以上に見えた。



自分もその年齢になって、

頭脳身体が衰えたのはほぼ当たり、しかし、

おもったほどの劣化でもないのかもしれない、

というおもいもまた。

私は、いま沖縄にいるが、

東京を出たときには、

50半ばには死ぬだろう、

とおもっていた。

いまもそうおもっているが、

しかし、自分はまだなにかできる、

という思いも消えていない。


そんなことで、あきらめのわるい、我の強い、頑固なジジイができているのである。



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