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外国人、というだけで価値があるわけではない
- 2014/07/19(Sat) -
私は、スウェーデンから帰国して、その日のうちに入った仙台で、スウェーデン語の生徒がひとりいた。


私には、あとにも先にも、日本でできた唯一のスウェーデン語の教え子だ。

彼女は仙台の某外国語学校にいたスウェーデン人教師に失望して、日本語が母語でも私に習いたいということで、連絡を受けたのである。


私もスウェーデン人教師に興味があったので、その若い彼に会ってみた。


私も失望した。私のウプサラ大学のスウェーデン語の先生たちに比べても雲泥の差、龍と蚯蚓ほどの違いだった。


なぜか?

彼もスウェーデン語を話すのに。








学がないのである。


教養がないのである。




スウェーデン語を話す点を除けば、街に掃き溜められた無職の穀潰し同様だった。


聞けば、スウェーデンで高校を中退して、仕事に就くことなく日本に来てみた、というだけであった。

日本に来てみたら、何もできない何も知らない自分でも、先生、と尊んで高い給料をくれるのだから、日本はいい国である。







だから、私の生徒が、ヨーロッパ文学の話題でスウェーデン語で話したいとふっても、私だって中学時代に知っていたような文学者・哲学者さえ、知らない、というのである。ニーチェさえ知らなかった。







古代ギリシャやローマを精神の故地にもつヨーロッパ人だからこそ、日本の畏友アメリカをさえも、新参者、と嗤うことができるのだが、そんな地上最高の精神を受け継いでいないヨーロッパ人もいたのである。





ただの役たたずの若僧を、外国人、ということで、先生、と崇めさせる日本の外国語学校の愚も問題だが、







日本自体も、もっと、「外国人だから」、ではなく、





外国人であろうとも、







一人間、としてまず外国人に接することができるよう成長することが開国の第一歩なのである。







黒船に右往左往していた開国前夜の時代は、日本史の中でまだ続いているのを、






もうそろそろ日本人全体として気づくべきなのである。








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