スウェーデンの学生寮 ( korridorsmamma )
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- 2015/02/09(Mon) -
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130519 私が選択した住居形態は、廊下の左右に6人が住む、
共同キッチン共同リビング(中古テレビと全員が座れるソファがある) のいわゆるコリドー形式のものだ.私の最初の部屋の番号は、7-333. そのような建物が十数棟あるほかに、家族用、グループ用の建物とあるわけである. コリドーを出て、数名でワンフロア借りることも、 恋人と訣れてコリドーに入るのも自由である. 私の場合、他の11人、 といっても、全員がスウェーデン人ではなくて、スウェーデン人は5名で、あとは 中国人、スペイン人、デンマーク人、ノルウェー人、イタリア人、ドイツ人などがいて、 外国語の練習環境としては申し分ない場所を愉しんだ. * * * * * * * * コリドーには、korridorsmamma と呼ばれる女子学生がたいていいた. よそのコリドーでも、威厳のある女子がいると、たいていそうだった. 最初のコリドーでは、医学部の年輩の Maria がそうで、 もの静かで、余計なことは一切言わない、 しかし、共同スペースのことはちゃんと管理してくれていて、よくできた立派な娘だった. 私は、彼女から、うちは貧しいがスウェーデンではお金がなくても医者になれる、と聞いた. (もちろん、高校で優秀な成績でなければ医学部には入れない.) だが、korridorsmamma がいつもそんな有徳な女子学生とは限らない. 私利私欲全開、やりたい放題の女子学生がそうだったこともある. いわば、互いに対立し合うのを避けたがるスウェーデン人の間で、 周囲の尊敬を集めて自然にみんなの代表に推された Maria のような場合と、 ただ、さわいで目立ちたがり権力握りたがりで、自分で進んでその地位にいようとする者との違いである. * * * * * * * * 拙訳書 『スウェーデン人』 のあとがきにも書いたが、 国民性というものは確かにあるが、 私たちは、外国人と接するときも、まず、 「その人そのもの」 を観るようにしなければならない. 個人には、自らつくりあげた個性と、innate なものとが共存しているが、 まず、前者を認識することが、相手に対する、正しい礼儀だとおもうのだ. スウェーデン人女性には、優れた人を数々見たが、 だれでも、というわけでもないことも、当たり前だが、とりあえず書いておく. コリドーでもいつもつつましい私服と化粧なしのそばかす顔の白皙長身のマリアが、いまは、 人々の尊敬を集め、最先端の医療施設で働いていることを信じて疑わない. ![]() |
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