親として
- 2013/04/15(Mon) -
私は結婚歴がないから、自分の子どもをもったこともない.


たぶん、もう私の遺伝子はのこらないだろう.


しかし、親 としての気持ちはちょっぴりわかる経験をしたことがある.


* * * * * * * *


小学低学年の男子とその母親と暮らした時、その子どもは、


私と風呂に入りたがり、入ると私のペニスをひっぱったり


睾丸の裏を洗われたりするのを喜んだ.


母親がそんな必要はないというのに、私は一人でも彼の登下校の送り迎えをした.


登校時は彼女も一緒だったが、下校時はたいてい私一人で迎えた.


当時の私は大学研究室で終日勉強していればよかったので、


小学生の下校時に外出する自由はあったのだ.


なぜ、学校の送り迎えをやっきになってしたのか.


彼の身に万が一にも何かあってはならない、とおもっていたからだ.



* * * * * * * *


その後、小学中~高学年の女子の週末親をした.


彼女が金曜の夜に東京・上野駅に無事に着くときはいかに安堵したことだろう.


彼女を日曜の夜に電車に乗せるとき、どんなに不安だっただろう.


彼女自身は、駅弁とお菓子をしこたまかかえて、


列車に乗るやいなやホームの私に携帯メールを送ってきた.



* * * * * * * *



スウェーデンに行って、


自分の親のどちらとも血の繋がらない子を私は多数知っている経験があったので、


彼ら彼女ら、自分の子どもではない子どもと時間を過ごすことにはなんの違和感もなかったが


親 としてもたねばならない責任からくる心配は、避けようがなかった.






スウェーデンには、北朝鮮出身者の孤児を養子にしているスウェーデン人夫婦もいた.


彼らの、自分たちとは似ても似つかない朝鮮人の子どもを養育する愛情はどこから来たのだろう.



私の場合は、


ともに暮らした男子も少女も、その母親と私がまず親しかったからだが、


北朝鮮の子については、スウェーデン人夫婦はその親を知らないことだろうし、なんの義理も信頼関係もないだろうに.





私のところに、


アフリカの子どもへの募金のチラシが頻繁にくる,


組織について一度問い合わせをしたからだが、募金 など、私にたとえ巨額の貯金があっても、たぶんしないだろう.





私は、


養育したいのである.






自分の命をかけて、


次の世代に何かを伝える.


だから、


そのアフリカ孤児への募金組織も


私を信用してくれれば、


二三名なら私が育てる.






私が、離島で学習塾らしきものをやっているのは、


そんな私の心理が根底にあるからかもしれない、いや、きっと、そうだ.






親 であることは、きわめて困難で 尊い





私は、もはや、その仕事はできない



せめて、次世代の若者に、ひとことでも 



伝うべきことを語ろう.




05-12-11_18-49
この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<饂飩 | メイン | スウェーデン人と動物>>
コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://odjinn.blog69.fc2.com/tb.php/682-599fa3e5
| メイン |