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離れて観る
- 2013/02/04(Mon) -
病気をしていたので、携帯電話以外は見られなかった.久しぶりの更新だ.




自宅で寝ていて職場とも外界とも隔絶していたから、



寝ていて碧空を見ると、ここが東京なのか仙台なのかスウェーデンなのか南国なのかわからなくなった.




久しぶりに外出したら、



2月初めの沖縄の離島は、半袖で暑苦しくも寒くもなく、やや涼しい風が吹く天然で絶好の季節になっていた.



網戸に猫たちが来て、家猫と鼻を突き合わせている.






以前、沖縄とスウェーデンとはヒトが似ている、と書いたことがあるが、それは違うとも寝ていてわかった.



沖縄の人も、人にやさしい.  しかし、なにか、べとべとしている.  



スウェーデン人のようにカラッとしていない.



きっと、日本人ならば、沖縄の流儀のほうが気分がいいだろう. 私はそうでないだけだ.







子猫がないている.



理由がなにかわからない.



外に出たいのか、うまいものが食べたいのか、母親を呼んでいるのか、性に目覚めたか、トイレをきれいにしてほしいのか・・・



単に、



どうしたらよいかわからない




ということだけかもしれない.






私たちヒトも、他の種の動物も、




どうやって生きていったらよいかわからないでいるのは同じだろう.




ソクラテスは、懐疑主義者の誹りをあえて受けても、立ち止まって考えた.




たいていの世間人は、目前の目的を一つひとつ倒していくことで消日して人生をすすめるのではないか.




しかし、必ずしもそれが常にあり続ける人生ではないものもいることだろう.




そのとき、




私たちは、どうしたらよいかわからず、子猫のように、途方に暮れることになる.






私は猫を抱き上げ、背中をなで、ビー玉を床にころがしてやる.






生きるということは、自分でスタートを切ったわけではないので、時に










走りながら目標を考えるのを停止して、よくよく 考えて  みることもわるいことではないだろう.







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