『エンドア』
- 2012/09/29(Sat) -
昔、二十代前半に最初の恋人と一緒に観た映画を偶然にまた観てみた.



あのころは、二人して大いにおもしろがり感動して観た記憶があるのに



いま観たら、ちっともおもしろくない



三十年の人生経験が、そんなかつての感性を破壊し別の感性が完成されたのだ.




だから、高齢者と若者との間では、前者が後者を理解することはできるが



後者が前者を理解できることはまずないと思わねばならない.



ただ、未知のものと未知の精神を畏怖し敬うことのできる若者だけが



年長者の知恵にあづかる幸運を得ることができるのだろう.




そんな、年齢差のある集団、さらに、育った環境で世界観も知恵も違う者らが協働しているのが世界だ.








わかりあえなくて当たり前.




敵対し、唸りあって、いがみ合うほうが自然というものだ.




それでも社会が成り立っているのは、



ニンゲンは他人がいないと生きられないという知識を備えたためだけにほかならないのだろう.












そうそう、表題の映画を観て、いまわかったことがある.



私は結婚したことがないが、



もしかしたら、「夫」 というものは、シンディに対するウィケットみたいなものでよいのかもな、



ということだ.時々ドジ踏んでも、相手を一番心配してあげる、という.



そんなこといまさらわかったって、もう55歳のおまえに関係ないだろう、って?



まあ、そうだな.




k


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