「日本はスウェーデンになるべきか」 ん?
- 2012/09/05(Wed) -
「日本はスウェーデンになるべきか」 というようなことが
しばしば議論の的になる.


このことばは、まあ、「サルはシカになるべきか」 というような命題と同じで、

意味がない、という程度の 「おもしろさ」 を除けば、

考える態度としては無視してよい事柄なのだ.




結論から言えば、「なる」 と 「べき」 の前者から見れば、


スウェーデン人は確かに日本人より優れた点は数々あれど、

私自身もスウェーデン礼賛者では無論ないように、

スウェーデン人そのものが理想の人種でもないからだ.

「スウェーデン人のオトコは退屈」 と言った私の知人のイギリス女性は、世界中がみんなスウェーデン人だったらたまらんだろう.


スウェーデン人は、あの地誌と政体があってのたまもので、

東洋の端にスウェーデンがもう一つあっても、世界の益ではないだろう.



多様は悪ではない.



日本人がスウェーデン人になるには、数世代にわたって歴史的な民族意識の変革がなされなければありえないし、


日本人のいまの国民性、たとえば、「核」 というものに対して有する国民的感情、というものは、


それはそれで世界の一員として有益な意見であるし、


アメリカとの歴史的関係をもったままスウェーデン人化などできはしない.




「アメリカの文化で尊ぶべきものは、ビジネス戦略の手法とマクドナルドだけ」

というのが、(無論、百パー本気ではないだろうが)

世界の新興国アメリカに対するヨーロッパの伝統国の見解だ.(→ Gillis Herlitz『スウェーデン人』


だから、日本はスウェーデンになることはできない.


なったときは、日本民族の国民性がいまとはまったく異なるものとなっている.



そして、「なるべき」 の 「べき」 のほうも、世界のあり方に絶対こうたるべしという基準などないのだから、

考えるにも値しないことになる.



かくして、


「日本はスウェーデンになるべきか」

という命題は、無意味なところだけにおもしろみのあるものにすぎなくなる.








「なる」



必要はないのだ.





日本人は、



己を振り返りつつ他者に学べばよいのだ.  モノマネでなく.



それが、明治の開国の時代から、


日本民族が本質的に不得手な事柄だからだ.



u
( Uppsala / Sverige )
この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<驚くのは私だけ? | メイン | 沈黙するものら>>
コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://odjinn.blog69.fc2.com/tb.php/630-00dc2235
| メイン |