2017 07 ≪  08月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017 09
スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
《番外》 沖縄の矛盾
- 2012/06/01(Fri) -
i


     沖縄は人材と周囲文化環境に不足している.

     だから、内地から、有能な人材・有益な法人が来ると、とりあえず喜ぶ.

     しかし、

     私のように内地から来て数年経つものでも経験するが、

     内地から消音機をはずしたバイク乗りが遊びに来て静かな市内を夜中に爆走すると、

     「こんな場所時間になにしやがるんだ」 という、まあ、東京でもふつうに感じる不快を感じるものだが、

     それと同じことを、私もまた地元の一部の人々から感じられていることになるのである.

     理由は、いろいろある.


     沖縄のよきおだやかさ、悪く言えば、時間ルーズ、金銭貸借にルーズ、といったことに
     忠言を述べると、「うるさいナイチャー」 と逆に叱られることになる、といった状況である.

     朝のごみ捨ても、そのへんにほかしておくのがここのおだやかさで、きちんと出しましょう、などと
     言おうものなら、隣付き合いを断わられる.

     もちろん、嫁も不足しているから、若い働き者の女性は歓迎され、
     地元の男と海と空を愛せれば、そんな内地の女性は幸福に生きてゆける.


    

     昼のニュースでよく国会で沖縄のことが論じられているさまが報道されるが、

     沖縄の人々は、自分たちが被害者であると程度の差こそあれふつう若者も老人も思っており、

     それとおだやかな心と、内地に物資と文化の面で劣るといういくばくかの後進意識とで、

     霞が関で思っていることはそのまま決して沖縄の人々には受け入れられないことになるのである.


     それは理屈ではない.

     損得の勘定でもない.

     

     私も最近わかったのだが、外国でのほうが私は正当に扱われていたが、それは、

     私がスウェーデンという、文化的にも日本よりも優れた土地にいたからだと思っていたのだが、


     単に、外国人だから、ということで、正当に、扱われていたのかもしれないのである.


     スウェーデン人には、日本人への先入観や偏った知識は多分にあったろうが、それを超えて、

     偏りなく、実力どおり、人としての能力どおりに外国人を遇していたのがスウェーデン人だったが、


     沖縄の人々はそうではない.


     同じ日本人だから、もう、内地出身者の、言葉も、歴史文化も、よくわかっている.

     しかし、「同じ日本人なのに、なぜ私たちと合わせられないのか」 という憤りが、

     ややもするとどんな沖縄人の底から噴出してくることになるのである.


     同じ国の民だからこそ、

     沖縄の人々は、自分たちに寛大になってくれない内地者を許せないのである.

     ほんとうは同じようになりたいのに、内地者には絶望的な断絶感を抱いているのである.



     だからこそ、沖縄問題は、日本では、もはや、国際問題以上に、


     融和不能な問題となり続けているのである.



     霞が関の住人にこのことがわかるようになる日がいつ来るのかわからないが、



     それまで、沖縄の知事は、ずっと拳を机の下に握って政府と対話する苦悩をいだき続ける定めなのだろう.






s


この記事のURL | 日本という国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<グレートマザー同士 | メイン | スウェーデン、アメリカ文化比較考 ─── あるバンパイア映画を通じて>>
コメント

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://odjinn.blog69.fc2.com/tb.php/604-c6d97336
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。