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- 2006/07/12(Wed) -
宗教的絶対者の存在をつきつけられた二十歳のころの私に、考え方のヒントをくれた書物・人物はいくつかあるが、その1つに、武者小路実篤『人間萬歳』 がある。神(あるいは複数だったかもしれない)と天使たちがさまざまな世界を観ていて、その1つに地球もあり、神(々)と天使たちが勝手なことを言い合う、という戯曲である。筑摩書房の芥子色の日本文学全集の武者小路の巻にも収められている。

カメを飼っていて、新しいエサに取り替えてやっているときに、カメが古いほうのエサだけを齧って、新しいエサを待たずにケージの隅に歩いていくときなど、神も、このような目で私たちを見ている存在なのかという想像を、武者小路のその小説は私に思い出させてくれるのだ。

映画 『MIB』 の第1作の最後も、地球を含む銀河系をそんなふうに弄ぶ宇宙人の姿で終わっている。

武者小路のそれは、たとえば、磔刑のイエスが最後に「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか!」と叫んだときには、はるかかなたで神と天使たちが、あの偉そうな人間は何を勝手に叫んでいるのか、と冷ややかに見ている、という内容である。自堕落な天使たちもいるし、神も人間のようなので、逆に立派な人間を見ると、神や天使が、あの人間を見習わないといけない、と思うのだ。そして、最後に、人間はなかなか捨てがたい奴らぢゃ、ということで、神(々)と天使たちが 「人間ばんざい!」 と合唱して終わる、という、いかにも武者小路らしい筋立てなのである。

ようするに、神の存在がどうであれ、私たちは、善く、美しく、自らの知力を尽くして生きなければならないのである、ということを30年前の私は学んで清々とした気分になったものだった。



それなのに・・・、いまだにどうだ。
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