遺るもの
- 2012/08/12(Sun) -
(skrivit 2012.3.20)


私には、同棲する猫たち以外には、家族はいない.

肉親も死んだし、このままでは老後が不安だろう、という人が多いが、

まあ、一度死んだ身としては、もう、何も待つことはない.

─── というようなことを心臓の薬をもらう離島の医師、つまり、私の主治医に言うと、

人はね、死の瞬間は断末魔の叫びを上げるものだよ、というが、

確かに、私も、仙台で救急車で深夜に病院をたらい回しにされた時、

救急隊員に 「もう、苦しいから、安楽死させてくれませんか」 とやっと言った.

4つめの病院で術台に乗せられた時も、若い看護師に同じことを言って、叱られた.


あれが、私の断末魔だったのだろうか.

身体は死にたいほど苦しかったが、心は、なすべきことをして生きた、というおもいで完全なる終止符を打つことに充足していた.



◆◇◆◇



それから数年して、東京に転居してきたころ、スウェーデンで訳した図書を出版したいという会社が現れた.

東京に戻り、母校・早稲田に顔を出し、
在学中は習ったことのない西洋史の教授のところにスウェーデンの話をしに行き (彼はデンマークに留学していた)、

私が1900年代の終わりごろのウプサラでの夏休みに、日本語を書く愉しみにひたるために翻訳した、

あるスウェーデン語の図書の話をしたら、それを別の大学の先生に話し、

そこからある出版社が興味をもってくれたのだ.


日の目をみるはずがない、とおもっていた原稿が出版社にもちこまれることになった.8年以上たっていた.

その著者は、もともとウプサラ大学の先生でもあったし、

日本語には私が翻訳したいと言う意志はスウェーデン時代にも聞いてもらっていたし、

それが出版という運びになって快く承諾してもらった.

─── いつも、スウェーデン人には、ほんとうに世話になる.



ある映画で、精神科の医師が、同僚に、「あなたはあの患者に入れ込み過ぎている」 と言われ、
「彼が僕を選んだ (He chose me.) ような気がする」 と言うところがあるが、

人生で交錯する人と人は、みんなそうなのだとおもう.友人も、恋人も.


そして、私とその図書との出会いもまた.

私のスウェーデンに行った目的は、古代ゲルマン語研究の本場に行ってそこで研究者として生きることだったし、

日本に帰って来たのは、日本の大学の学位を得ておくためだったが、

日本で身体が壊れ、

学問もあきらめざるをえなくなったものの、

戯れに訳した図書が、私が後代に遺すものとなった.

そこには、スウェーデン語原文の翻訳のほかに、私の註があり、そこには私の個人的な体験も書いてある.


きみでなければ訳せなかったし、書けなかった、

とある先生に言われ、本が、私を選んでくれたのかもしれない、と思う.



◆◇◆◇



会社を辞めて大学院に戻ったことで、当時、親にも会っていた恋人は私の元を去ったが、

おりしも早稲田がスウェーデンの大学と派遣交換留学の契約を結んだ.

運よく私がスウェーデンの大学から選抜され、それを早稲田大学側も追認し、私はスウェーデンに行けた.

たまたま英語論文がよくて、他の外国人のように英語の授業に出ないでよいので私のための予算が余っている、

なにかしてほしいことがあるか、と大学がいうので、即座の私の希望で、

大学の正規のスウェーデン語教師を個人教授につけてもらえた.

図書に出会い、著者とも話せた.

そして、あとは、

途中、

救急車の中で 「死なせてくれないか」 と言ったりもしたあと、

スウェーデンのさわやかな夏にできた文章を活字にしてくれる人々が現れた.



人は、人によって、生かされる.


私たちは愚かなこと実に多い存在だが、


有り難き出来事有り難き人々の存在が、

私たちの人生を照らすこともある.




carolina
(初夏のウプサラ大学中央図書館、通称 Carolina Redeviva )






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