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- 2012/02/24(Fri) -
私たちは、常に、正気を失っているから、

それを保持するよう、よくよく努めなければならない、ということが

何千年も昔のブッダやソクラテスが述べたことだ.


私たちは瞬時も自分で考えて判断しているようにみえるが、

私たちの判断は通常は湖水の水面のゴミや動物を追っているだけで、

自分が本当に解決したい問題とダイレクトに頭脳が直結していることはほとんどないものなのだ.

─── と書いている私のいまの意識も、きっともう濁って浅くなっていることは確かだろう.


よく、偉大な科学者が、目覚めの時に閃いたことが年来の難問の解決だったりする、ということを述べている.


あれは、その時が、私たちの人生で唯一雑音のない、頭脳が明晰に機能しうる時間帯だからだろう.


私はもう起床してから、食事と入浴をし、コンピュータを起動してこれを書いているから、


既に、頭脳は、湖面に浮かぶ小舟のように、ものの本質のうわべだけしか見られないで揺れているだけのはずだ.


こう書いている間も、誤変換に思考が中断したりしているのだ.




◆◇◆◇




人ひとりの、まだ家から出る前の時間でさえ、かく意識と思考は濁り浅薄になっているのだから、

これが、ひとたび戸外に出て、他人と接触しようものなら、


─── 核融合にも匹敵するくらい、キケンで不安定な接触作用となることは想像できるだろう.


自分が本当に言いたい、あるいは、言うべきことも言いきれない者同士が話し合う.

それで、自分にも相手にも 本質をわからなくさせ、

真実認識を誤らせ

浅薄化した意識のゆえに胚胎している諸々の 「慾」 をさらに 「損なわせ」 る結果、

怒ったり悲しんだり途方にくれさせたりもし、

もう、どんなことが起こるかだれも予想できない状況となるのが、このニンゲン世界なのだ.


私は専門家でないので、ニンゲン以外の生物の意識や思考のことはわからないが、


たぶん、ニンゲンのほうが、あれこれ思弁する力とそれを行使する力は大きく授かっているから、


猫やカブトムシが私と同じレベルで誤謬のうちに生きているとは想像しにくい.


その一方で、


私たちは、


喜び


支え合い


愛し合うことの 「価値」 も 「知って」 いる.


あたたかくやさしくされた時の感覚は、確かに心地よい.


それさえも、濁って浅い意識と思考のゆえと放擲する気持ちにはなかなかなれはしない.



─── かくして、きょうも私は、


人と意味ありげに語り、


意見を交換し、


安堵したり笑ったり考え込んだりする.
それが、なんの基盤も力ももっていない意識と思考力によって動いているとわかっていながら.



ブッダの苦悩はこのあともずっとニンゲンには存在し続ける.


そう、それが、


もしあるとするなら、


「宿命」 とでも名付けるべき事柄なのだろう.


b


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