(2011.12.24.記)
クリスマスが来る.
スウェーデンの大学学生寮は、きっと、東洋と南米の学生以外はいなくなる季節だ.
暗く、白い風景だけが延々と広がるなか、しかし、
共同キッチンの窓などには、スウェーデン人学生がきれいな電飾やツリーをのこしていってくれる.
私のスウェーデン人女子学生の友人に、こんな娘がいた.
私に、独りでコリドーにのこるのはさみしいだろう、と
カセットテープに彼女が選んだ音楽を入れて、私にくれていった.
(私の留学時代は、パソコンが一般化し始めたころ、しかし、携帯電話はまだもっている日本人が希少だったころの話である.)
その彼女は、その後、
私が、日本の 『100万回生きたねこ』 という絵本をスウェーデン語訳して、
大学の教員たちからスウェーデンの出版社に持ち込むよう勧められたとき、
一緒に活動してくれた子だ.
たしか、私は、出版されたら、印税は折半、とかまで言っていたとおもう.
それくらいの関係でも、無論、「友人」 である.
私は、彼女のほかにも、私に部屋の鍵を預けてラットの世話を頼んで帰省する娘、
私を泊まらせてくれる娘
等、スウェーデン人女子学生の友人がいたので、
彼女らとも、男の友人と同じように、性的な匂いなくつきあうことができていた.
─── 無論、そんなことは、日本では通じない.
その後、あるいは、いまでも、私は、日本人の間で、
堅苦しい、窮屈なおもいをし続けているわけである.
