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子猫の死骸におもう
- 2012/12/07(Fri) -
けさ、眼前で、つきあいのある猫が轢死した.

私に拾い上げられ、路傍に寝かされ、もがき、ほどなく息をひきとった.



火葬しようという市役所員に断り、隣家の婦人と埋葬できたのは昼過ぎだった.


硬直がはじまったからだは、あたたかみも、

昨夜私の手にアタマをすりつけてきたエネルギーももはやなく

いったい、これから、なにが抜けてこうなったのだろう、とおもわざるをえなかった.



生きていたものが死んだとき、かならずおもうのは、
死によって、なにが、このようにこのものをかえたのだろう、ということだ.


こんな生き物を数々創造した神がいるならば、それは人知にははかりしれない技の持ち主なのは確実だ.




◆◇◆◇




息子がいなくなった母猫は、きっと息子が屋内にいるとおもってか、窓の下から深夜いまも離れず、

姉妹たちのうち、一匹はそんな母親に寄り添い、

すでに出産した妹は、大きく目を見開いて私をじっとみて、静かに自分の子のもとへ去り、

昨夜、死んだ猫に頭や顔をなめられていたいちばん小さいメスは、

なぜか姿をみせなくなった.



死を見ると、


生きていることのほうが不思議におもえる.


なんで、こんな肉皮袋が動いて、ものを入れ、思考して、争ってまでいるんだろう.



いったい、なんで私たちは生きているのだろう.



死へ向かっているだけの存在なのに.



sc

(110727)

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