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序列 311
- 2016/03/12(Sat) -
人はどんなことにも序列をつけないではいられない.
それは必然なのだ.

なぜなら、
行為も、
それが起こる空間も時間も
ひとつの行為にひとつの空間時間しか占有しえないゆえ、
人が存在すれば、
そこに、先行、次位、の別があらゆるものにできざるを得ないからである.

かくして、人が集まれば組織となり、階級・地位の別となり、
序列が至るところにできることになる.

そして、序列ができれば、それが、人工的な 「優劣」 という形をとる.

人間以外の世界にも序列はあるが、それは自然力による序列である一方、
人間世界の序列は、それが人工的なものであるため、
人による序列、すなわち、
人知の範囲内での正誤善悪得失についての判断によるか、あるいは、
個人がもつ好悪の感情による序列決めという結果になる。だが、
それもまた人間の必然なのであるから、それについて、
あれこれ言ったり、嘆いたり憤慨したりするのは、
人間の在り方としては誤った思考作用だと言わざるを得ない.



しかし、人は感情ない機械とはちがうので、
生きるためには自分を生かしたいとか、やりがいのある目的がほしいとか、
単に、たのしく生きたいとおもうのもまた必然なのである.


かくして、人は、序列の価値観とは異なることを目指す人と、
序列の価値観で幸福を感じたい人に分かれることになる.


前者に比べて後者の数のほうが圧倒的に少ないのは階級ピラミッドの形状通りだが、
後者の幸福はその所有者数が希少であるために前者の大多数もまた願望とする絶対的価値であるかような錯覚幻想が醸成される.その大多数の錯覚幻想の上に少数の後者の幸福感は存在する。




幸福とは、富の多寡、豊饒か否かによるのか




幸福は多重であろうが、

しかし、悲しみは、たぶん、銀行口座の預金額のゼロの数の多さとは無関係に、万人共通のはずである.
愛するものを失った悲しみはだれもが同じはずであり、
内面の苦悩もまた同様であろう.


悲しみは、だれもが同じ苦しみであるのに、
「幸福」 は、もてる者ともたざる者に分かれるというのか.



昨日、日本の多くの人々が悲しみの苦痛を味わった.

その人々に、万人共通の幸福が回復されることを願う.
(2011.3.12.記)



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