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日本の性教育の未来、日本の未来
- 2011/02/05(Sat) -
もう50歳を超えた私の世代は性教育というものをほとんど受けてこなかった。理科の先生が1時間くらい女子と男子を分けて授業をしたくらいだ。しかも、ざっくばらんを装うあまり、いまおもえば猥雑な話であった。

スウェーデン人の性教育は念がいっている。そして、それにもかかわらず、スウェーデン人でさえも性的犯罪をおかすことがあるのも、「スウェーデン人」 で検索して私のこの記事とともに存在する記事の見出しによっても知られる。だが、そのうえで、スウェーデン人はまだ日本人よりは性的に 「まし」 なのである。

性的なことに適切な認識があることで、男女間の問題の多くが解消されている事実を日本人はスウェーデン人を観て知るのが、性教育の第一歩としてはよかろう。


──────



性教育をまともに受けてこなかったのはなにも私の世代ばかりではない。たぶん、上の世代は言うまでもなく、下の、40代30代20代後半の者たちもそうであることは私が研究室や職場で出会った者たちを見ればわかることだ。いや、インターネットや携帯電話というものがあったせいで、彼らのほうが私よりも雑多で偏頗な情報にさらされて歪んだ結果、もはや度し難くみじめに見える。


私は、30代40代に出会った恋人たちから 「性教育」 を受けたようなものだ。そして、まぎれもなく、スウェーデン人たち全体が、私に正しい性差観を教えた。


日本人や他国民により私のような経験をしない者も日本人には多いことだろう。彼らの異性間は、だれによって、どう形成されるのだろう。私は教師の家に育ったが、私の親も私になんら性教育をしなかったし、家には低俗な情報が放置され、教育的配慮にも欠けていた。



──────



しかし、日本で 「性教育」 をするとしたら、どうすればよいのだろう、それは、私もいつも子どもと接するときに考えている。まあ、自分が自分の性意識を当たり前のように前面に出して若い世代に見せつけるしかないのだ、ということにいつも行きつく。それを、彼らが奇異に感じるだけであろうが、他の大人とは私が違うのはどこに由来するのか探るようになろうが、あとは彼ら彼女らの資質次第なのだが。



異性は人生で出会うニンゲンの半数である。それらと適切な関係を築けないのは不幸であるし、世界を狭くする。
それに加えて、性は生きる喜びとして人生のずっとあとまで、たぶん、最後まで続くものだ。その正しく健全な愉しみ方を知らないことも不幸だ。

未来の日本人が正しい性認識をもてるようになるのに、いまの年よりたちは無論、若い40代30代の教師や大人たちにも期待できまい。
たぶん、正しい性教育ができるようになるのは、これから世界に出て世界の広さを知って目を覚ましたいまの10代の者たちが教育者となったころだろう。それでもまだ早いかもしれない。日本人が公正に世界を観ることができるようになるには、まだまだ数十年かかるであろうから。


日本はいまだ、そしてこれからもしばらく、蒙昧な暗闇を迷い歩く時を経験しなければならない。



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