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教師の仕事
- 2011/01/12(Wed) -
教師の仕事は、「生徒を学習にぴたっとはめてやる」 ことにあるといえるだろう.

ぴたっとはめる、とは、生徒の頭脳や精神構造や性格に合った学習方法・内容を教え、そこへ導くことである.
目的にあった素材を与える、ということは、その最も小さくて小手先の段階だ.

少なくとも、大学で修士を終えるくらいまでは、若者の頭脳で差がつくことはないと私は信じている.
差が出るのは、その子どもが、自分にぴったり合った、自分の能力を駆使できる心身状態と環境を得ているかいないかである.それをわかる教師や肉親に恵まれた子は受験に成功し、それなりに軌道に乗る.

例を挙げよう.
ある浪人生は、数学と語学の才能があった.高校生のころから英和辞典の例文を暗記するのが趣味で、数学も難問を探しては解くのを愉しんだ.しかし浪人してからは、参考書に飽きて、岩波全書や日本古典文学大系を読破したりして過ごした.夏休みは、素数の規則性を高校までの数学の知識で解こうとした.大学は、希望の京大数学科に落ち、私立大学の文学部でお茶を濁した.
彼はそこでサンスクリットやラテン語やギリシャ語と出会い、英語・ドイツ語・ロシア語・イタリア語で書かれたそれら古典語の文法書や辞書を使って、数千年前の世界の古典語を読む愉しみを知った.私立大学の副学長から東大に編入するよう勧められた.そして、大学からスウェーデンの、北欧最古の大学へ派遣され、幸福な学問生活を、40歳後半で心臓を壊すまで行った.
彼には、受験参考書の使い方を教える教師がいなかった.だから、数学を専門にはできなかったが、おかげで、世界の古典語のすばらしさを知ることができた.


若者の才能はいつどこで開花するかわからない.だから、私のところにくる小学生の親が自分の息子のことで嘆いても、私は自分の過去をかえりみるに、心配する気にはとうていなれず、中学になれば、あるいは、高校になれば、あるいは大学生になれば・・・きっといつか目が世界をとらえるようになりますよ、と言うのである.

だいじょうぶ、きっと、きみたちは、できるように、わかるようになる、と.


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