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異文化は いたるところに
- 2010/10/17(Sun) -
きょう日曜日、私のところに勉強をしに来る小学生の野球の試合を観に行ってきた.

沖縄の離島とはいえ、もう炎熱の日差しもゆるくなった.

その子どものお父さんに声をかけられ、

野球を観ながら、雑談をしていた.


その子どもは四人姉弟の末っ子なので、お父さんも私よりも年上だが、

私たちが座っていた大木の回りを飛び交う南国の野鳥に目をやりながら、

子どもの頃には、食用にサシバが足を縛られて売られており、

子どもは、目をみて、若い鳥を買って、

足に長い紐をつけ、その端を下駄に結わえ付け、飛ばして遊んだ、と物語っていた.

青みがかった目が若く、それが金色になり、年よりは赤くなるのだそうだ.


私には、とうてい体験できないできごとが、同じ日本の中でも、かようにいくらでもあるのだった.


人は他人の人生をわかりきることはできないし、

自分の人生を他人のそれと比較することも、

さらには、その結果、自分に優越を感じることも愚者の行為以外なにものでもない.


人は、どんな他者をも、その存在を認めるところから、自分の存在を始めなければならない.




私とそのお父さんは互いにのんびり休日の子ども野球観戦をしている点で気分に共通点があったが、

経験・知識・習慣が違ううえに心の在処・気分もまるで違う人同士が一緒に生きるのが人間の人生なのだ.


『世界最速のインディアン』 という映画を、人に勧められて観てみた.

主人公は、やりたいことをし、言いたいことを言う老人(アンソニー=ホプキンス)だが、

彼もまた、偉業をなすには、いや、偉業こそがあまりにニンゲン的な所産ゆえ、
多くの人的物的障害にもまして、
さらに多くの人々によって支えられ、愛され、とり巻かれて生きていた.


この世に、人と離れて生きる場所は、もはや、ないのかもしれない.

むしろ、人とよりよくより尊く生き合うことこそが、

今の時代の人間的なことなのかもしれない.



ch


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