日本人は劣っている
- 2014/03/23(Sun) -
「日本はいまだ開国されていない」 これは私が 『スウェーデン人 ―― 我々は、いかに、また、なぜ』 の訳者あとがきにも書いたことだ。自分のふるさとのことは外に出たらわかるようになる、と言われる。だから、島の子どもはまず内地の大学にゆくのがいいし、東京の子どもは海外に大学にいけばいい。そして、私が上掲書を出すときに出版社から言われたように、異文化を紹介するには、その国に永住している人よりは、私のようにそれなりに長くいて、また戻って来た人のほうがいいらしい。往復することで 「比較」 が完成されるからだ。その点では、私のような人間は多数派ではないだろうから――というのも、外国を知れば、そこでの生活の優等性に惹かれて永住するのを望むのが自然な日本人のはずだから.それは、以下に述べる理由による――、むしろ、よくテレビにある、日本に住んでいる外国人が(多分に、マスコミ受けを狙った態度によって正確さが曇らされるものの)話す言葉が次位になるが、日本人にとっては客観的に自分を知る機会となるだろう。
 
 もちろん、人は個人として見られるべきであって、「~人だから・・・」 という考え方言い方は、私が沖縄の人口200人にも満たない離島に来たときに、「この島に住むなら・・・でなければならない。そうでないなら口もきくな」 と言った島民のそれと同じで唾棄すべきものだ。日本人でも、優秀な人、高潔な人、真に他者にやさしい人などたくさんいる。しかし、それでも、日本の雪とスウェーデンの雪が違うように、都会の空気と谷川岳の空気が違うように、江ノ島の海と宮古島の海が違うように、やはり、国民総体とみたときに、the Japanese と svenskarna は違うのである(前者は、とりあえず、「日本人」 を日本に近い印欧語で表してみただけです)。

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 日本人は決してスウェーデン人とは似ていない。
 むしろ、対極にある、と言ってもよいくらいだ。それを、「スウェーデン人と日本人は似ている」 という人々は、まだ観察が浅いのか、それとも、自分がヨーロッパ人と共通性があると思いたいのか。
 日本人がスウェーデン人と異なる点は先日も書いた。書いて書ききれないのでやめたし、また、むしろ、日本的常識がスウェーデンではタブーとなるものもある。そして、その中でも、最も大きな違いは私見では2つあり、そのどちらも、日本人の 「利己心」 に基づくことなのだ。


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 日本人は1歩でも他人の前に出ようとする。それは、若者でも老人でも同じだ。
 私は、いろいろなところで 「国民性」 という単語を使ってきたが、最近、そう言ってしまうと、それが何か取替え不能なレッテルのような気がして日本人にすまないとおもうようになったので、このごろは、「日本人の性質」 とか 「習慣的思考態度によって身についた行動様式」 などと呼ぶことにしているが、まあ、そのような 「性質」 は、とりもなおさず、それが日本人を心貧しい存在にし、不幸感を増大させている原因なのだ(不幸は必ずしも全て政治のせいではない)。そして、そうした 「性質」 は、スウェーデン人の間には絶無なものなのだ。ドアを開けて前方後方からくる人を待つ若者(老人)、見知らぬ高齢者の手を引いて郵便局のカウンターに連れていく若者、それらは、日本では決して見られない光景だ。
 自分より優れた者には(最近私が知った単語だが)「風評被害」 を与えて陥れる。それは、古くは菅原道真の時代にもあったし、ヨーロッパでもソクラテスのような例がある。しかし、それが日本ほど横行しているのも珍しい。力のない若者ほど、その手段で自分をよくみせようとやっきになる現象が大学教育機関でも大企業でも見られた。
 日本人は、スウェーデン人の 「余裕」 を知らない。

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 そしてもう1つは、あらゆる包装・梱包に見られるような、その作業をする者だけが簡便で低コストゆえに行うものの、それを開封使用する他者には、開梱開封が困難な、時には購入者に怪我や傷さえ与え、また商品それ自体をも傷つける可能性があり、さらに不必要にゴミを増やすだけの梱包・閉栓具が例として挙げられる現象がある。これは、単に、そのようなキケンでムダな梱包・閉栓をする機械が存在していて新しいものに替えられない、という現実問題によるのか、それとも、本当に、使用者が迷惑していると製造側は知らないのか、あるいは、そのような迷惑な梱包・閉栓機具をも製造している中小企業の存在を守るためなのか。しかし、公園の園具でさえ、危険と判断されたら全国規模で撤廃するスウェーデン人からすれば、日本の商品包装はアタマの悪さ以外の何ものでもないだろう。あるいは、人にやさしくない国特有の事例として映るっているか。

 かつて私は、スウェーデン人の先生に、上記2点を挙げて、日本はスウェーデンより劣るので、自分はスウェーデンに永住しようかとおもう、と話したことがあった。しかし、先生は、スウェーデン人にも愚かで嫌悪すべきところがある、とおっしゃった。無論、人である以上、それは当然のことだし、私自身、偏見に満ちたスウェーデン人、暴力的なスウェーデン人に出会ったこともあった……

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 日本人として生まれた私がこのようなことを書くと、日本がいやなら出ていけ、とか、日本人の風上にもおけないやつだ、とかの非難をされるむきもあるが、それもまた日本的なのだろう。あたかも、幕末の地方の思想家が幕府によって弾圧された如く、日本人は、耳のいたいことを言われるのを、また、自分が知らない知見を語られるのを嫌う。
 かくして、日本はいまだ開国されていない、ということになるわけである。
 謙虚に外の世界に学び、それによって同朋を啓蒙しようとするものたちが各所各機関で中心的に力をもって活動できるようになるときの到来は、あと数世代あとまで待たねばならないのだろう。

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(2010.10.7.記)

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