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私の若者観
- 2010/07/18(Sun) -
人の基層になる思考方法というものは複雑だが容易にtraceできるものなのかもしれない。

私は、スウェーデンから帰国して、数年後に、東京で、たぶん、休日の土曜日にか、テレビで
『メン・イン・ブラック』 という映画の第一作を観た、と、おもう。

そこで、ベテランのトミー・リー・ジョーンズが地元警官に
『ここはおまえのような若僧の出る幕じゃないんだ。あっちいってろ』---------(a)
と言う場面がある。

その後、後継者となるウィル・スミスと出会って、上司に
『~するとは、見所のある若僧だ』---------------------------(b)
と申告するところがあり、その一方で、自分を若僧とかなんとか呼ぶなというスミスのセリフに
『そうか、わかったよ、小僧』------------------(c)
と言い返すところもある。(私が観たのは、吹き替えで、原語表現を知りませんが、
この記事の場合には、原語は必要ありません、念のため)


ts




日本に帰ってきて、東京の大企業と沖縄の虚偽のNPO団体の2つに所属して働いたが、
どちらでも、私は、同僚たちの、自分より20歳くらい若い者たちに、(a)のような物言いを平気でしてきた。


しかし、日本で育って、ぬくぬくと大企業や地方のNPO団体のトップにいるような若者たちは、
私の気持ちを理解しないようだった。彼らはかえって 「打たれ弱い」 のだ。
彼らは、陰で、私を陥れる虚偽を周囲に喧伝していた点では共通していた。
人を無反省に陥れる、それが、日本でいま、高収入を得る方法のようなのだな。
どうやら、いまの日本の若者たちは、
自分より経験も知識もある年長者と真っ向勝負しようという気概のある者はいなくて、
カンタンに足元をすくえば上と交代できると思っているようだ。

こんな若者が次世代の母体となる国家なら、
日本が世界から鼻にもかけられないのは仕方ない。
世界は、実力主義なのだ。



私は、(b)のように言う機会をついに日本でもつことはなかった。
自分が 「こいつは立派な若者だ」 と思う者と、勤務先で出会うことはなかっのだ。


しかし、いま、沖縄の離島で高校生の勉強相手をしていて、

私に打たれても打たれても食い下がってくる者をみると、

(b)は省略して、(c)のような口調でしゃべれる相手がいることは、

まあ、日本の若者も捨てたものじゃないとおもうのだ。


ts


そして、映画というものも、また。





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