崇高な彼女
- 2017/08/19(Sat) -
(10.6.16.記)


1か月ほど前には、わが家におなかの大きいメス猫が3匹いた.

1匹めを、考えに考えた末に避妊手術した.


ぺったんこになったおなかで帰ってきた彼女は、もともと親もわからなかったのだが、これで子ももてなくなった.
これからは、私ひとりが彼女の家族だ.


翌日もう1匹を獣医に連れていこうとしたら、ふっつりと姿を消した.そして、そのまま、いまも見なくなった.


そして、3匹めをどうするかためらっていたところ、彼女も姿を消した.そして、ぺったんこのおなかで戻ってきた.

その彼女は、えさをよく食べるようになったが、子猫がそばにいるようには見えなかったので、死産だったか
流産したのか、かわいそうに、と思っていたが、

きょう、子猫4匹を連れて、ベランダに戻ってきた.

その母猫も、そのまた母猫も、私のところで、この3年の間に出産してきた.これで、4代目ができたことになる.


よく、野良猫の避妊手術は必須という意見に出会う.

しかし、猫も、街猫として土地に住む権利をもつはずだ.

食事とトイレをヒトが始末してやれば、世界遺産の、人口と猫の数が拮抗する西ヨーロッパの歴史的な街のように、
ヒトも猫もすみやすい土地になるのではないか.



私のとなりには、私が妊娠中にもかかわらず手術した猫が寝ている.彼女の孤独はどれほどだろう.


栗之丞



私のところの猫の家系は、孫は自分の祖母の猫を知らないようだが、二代目は自分の母も子どもたちも知っているようだ.
娘たちとはいまでもならんで日向ぼっこしている.猫にも、家族意識があるのだ.


sumi&ann


子どもが自分でエサをもらいに動けるまでは、どの母親も、自分は一切たべずに、運べるエサはくわえて巣に運んだ.

牛生肉なども、自分は絶対に食べず、5回でも、6回でも、家を出て、ベランダを下り、木に登り、隣の廃ビルの下の
子猫のところまで、食べ物を運ぶのである.
それは、初代も、二代目もそうだった.そして、いまの母親もそうするだろう.

自分は食べず、授乳しているので、やせて筋ばっても、母猫は子猫へとエサを運ぶ.



その姿は、どんな兵士にも劣らず勇壮で、


どんな修行者にも劣らず忍耐強く、


どんなメロスにも劣らず断固とした意志が貫いてい、


どんな神さえも道を譲るであろう神々しさをたたえていた.



二代目も三代目も、残ったのはメス1匹きりだったから、いまの赤ん坊4匹もいずれは旅立つことだろう.

しかし、母の務めはそのようなことにかかわりをもたない.


彼女は、ただ、 貫徹する だけなのだ.

ann



(当の子猫の写真は後日掲載)



anns
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