スウェーデン流の子どもへの接し方
- 2011/02/03(Thu) -
「児童虐待」―― タイトルに書くだけでもおぞましい言葉だ.

言霊、というものがあるなら、できれば書きたくさえない言葉だ.
たぶん、明日には別語に差し替える.(旧タイトルは差し替えました.)

「スウェーデンにおいて~というものがあるのか」 という問いを受けたから、

その質問者が検索して再びここに来られるように、きょうぐらいはこのタイトルにしておく.



そもそも、児童を虐待するとは、どういうことなのか.

日本では、

母親や父親が、自分の子どもを殴打する等の肉体的直接的行為や、

肉親による監禁や差別等の精神的苦痛を与えることを指しているようだ.

質問者もそんなものを念頭においていただろう.



スウェーデンでは、

日本によくあるような、

乗り物車内で、なきじゃくる幼児に向かって 「なに泣いてんの! まわりの人の迷惑でしょっ!!」
と金切り声あげて怒鳴るような母親さえ存在しないのだ.



では、スウェーデン人の子どもは、マーケットのお菓子売り場でぐずってねだらないのか、というとそうではない.
子どもはどこでも同じだ.


スウェーデン人の母親は、そんなとき、ぐずってお菓子の前から離れない幼児と同じ目線にしゃがみこんで
静かに、語りかけるのである. 周囲の人々に聞こえないほどのおだやかさで.

この、私があたりまえのように目撃した光景は、スウェーデン人自身によっても明記されている.
 (⇒『スウェーデン人 ―― 我々は、いかに、また、なぜ』)


スウェーデン人は、他者に苦痛を与えること、周囲との調和を乱すことを極端に嫌う.

それは、周囲の人が見聞きするだに胸痛むような行為をなすことをも避ける性質へ発展する.

とすると、それは、日本的な 「世間体をはばかる」「外面をよくする」 ことと同じように思える.


しかし、それがそうでないことは、本ブログの冒頭の記事 「未来は世界を知ることのうちに」 に書いておいた.





スウェーデン人といっても、スウェーデン人総体の中には、やっぱり異常な者もいるのは無論だ.


しかし、それでも、あの国の光景を一度、実見してみることは価値がある.


自分たちを変革すべきことが、

優れた国民性、というものが確かに存在することが、

日本人にもわかることだろう.


m



(2010.6.3.記)

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