私は、子ども時代から二十代中盤くらいまでは、よい先生たちに恵まれ、
自分は、ただ、好きな勉強をしたり、文章を書いたりしていれば、先生たちは喜び、
私が思いもかけないような代償 ―― よい上級学校への推薦とか、私の書いたものの社会化とか ―― を与えてくれた.
私は、ただ、努力していれば人生やっていける、といったような 「甘い」 人生観を固着させてしまった.
子ども時代に読んだ日本の昔話でも、正直で努力する人はいつも天佑が守っていた・・・・・・
しかし、その後の研究生活や、それを辞めて勤めた組織で出あった日本の大学人や同僚たちは、
人を陥れ、騙し、排斥し、虚偽を能弁できる者たちだった.よき先生たちは、物故された.
だが、それが、ニンゲン社会の必然、というものだったのだ.
野良猫さえ、時にたたかわねばならないときもある.ニンゲンもまた、そのような悪とたたかうのが必然なのだろう.
清い生が守護されるような、昔の出家修行者の園のような世界は、もはやこの世にはないのかもしれない.
私たちは、自分を護るために、
あえて、他者と対峙する労力を惜しんではならないのだろう.
ニンゲンのかなしさは、こんなところにもある.
