自己をわかり肯定する ―― 日本の学界
- 2017/03/28(Tue) -
(10.5.15.記)

私はいままで自分の行動の理由がわからなかったのだが、
この静かな環境にいて、いまは、はっきりわかることがある.


早稲田大学にいた修士課程学生時代、私が書いた論文が、さるノルウェー語の論文の引き写しだとの誹謗を受けた.
無論、私がスウェーデンに行く前のことで、私も、私の指導教授もそんな論文の存在を知らなかった.
そして、ノルウェー語を読める人がだれもいないドイツ文学科の教授会で、私の論文はボツにされた.
その後、指導教授からは、面目を潰されたと、一生学問世界で食えなくしてやる、と恫喝をうけた.

そんな電話の録音テープもちゃんとあるのに、私が指導教授や早稲田の教授会を訴えないことを、
私に同情したある教授は、私がおとなしい学生だから損をしている、もっとメディアに大騒ぎすればいいのに、と言った.

しかし、私が黙っていたのはそうではないのだ.

私は、そのような愚かななことで、真実を知りもしないのに他者を排斥する大学も、個人を攻撃する学問人も、
ともに、自分の人生には不要な存在だとわかったから、
それらを相手にすることをやめただけなのだ.



私が早稲田に愛想をつかして、スウェーデンから帰国したあと博士課程に入った東北大学では、
私の博士論文の一節を、自分の学会発表に指導教授が使った.
無論、教室で意見交換してできた見解から私が導いた結論だから、私個人のものとは言えないかもしれない.
その教授は私に、「ごめんね、使っちゃった」 と言い、これからもこうして協力すればどこぞの国立大学の教員にさせる、などと耳打ちした.

私が東北大学をやめたのは、その教授の行為を憎んだからではない.彼は愛すべき子どもだ.

私は、ただ、自分が、学問か地位のために、そこまでがっつくニンゲンではない、彼とは同類ではないと感じたから、彼のもとを去っただけだ.



――――――


学問とはなんだろう.

私の家の冷蔵庫の下にゴキブリよけの薬がある.飼い猫が、それが気になるらしく、さかんに手を冷蔵庫の下につっこんでいる.何度も何度も、繰り返し繰り返し.

私たちニンゲンは、この地上、また、行ける宇宙を相手にして、小さき虫を捕ろうと手をつっこんであがいている猫のようなものなのだ.
もちろん、そうして、ニンゲンは進歩してきた.また、そういうニンゲンには、栄誉と報酬がもたらされるように社会がなっている.

私も、そんなことをして、いや、たぶん、私はそんなことをしてスウェーデンから帰国まで半世紀近く生きてきた典型だろう.勉強生活が、ただ愉しかった.


しかし、愉しかったぶんだけ、


くだらないニンゲンとつきあってまでそれを続けようと思わない、という心情にもなったのである.




いや、スウェーデンで知った、真の学問の輝きはそのままに、
日本の早稲田や東北大といった二流大学の教師がしがみついている日本の学問世界が、なんだかとてもつまらないもののように、小さく見えたのである.



学問は愉しかった、
しかし、
私にとって、生きる、ということの意味は、そのようなレベルではない.





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