観つづける
- 2010/05/09(Sun) -
休日で、塾の生徒の高校生は午後3時からと6時からのグループなので、
午前中に部活動をしている小学生の生徒のようすを観に行くことにした.
ひとりはサッカー部で練習していて、もうひとりは野球部で別の小学校で練習試合をしている.


へんだろうか?
塾の教え子が運動しているところを観に行く先生、というものは.

確かに、練習試合のほうはともかく、ただの練習など、親さえ観に来てはいなかった.
しかし、
私は、
まだ暑くなる前の、涼気たたえた風に吹かれながら、
のんびりと石塀に座って、20名にも満たない小学生高学年がサッカーの練習をしているのを、確かに観て愉しんだ.


そう、無論、塾の生徒であるから、
その子の部活動の様子を指導の参考にしよう、などという目的があったわけではないのだ.

その子がもしも女の子で、学校が女子高とかだったら、
私は、小学生の男子と同じ眼で同じ動機で観に行きたいとおもうだろうが、
そうすると、自分勝手な妄想を勝手に私に仮託して非難する方々と日本でたくさん出会ってきたので、
きっと私は、かえって行動を抑えただろうが、
きょうは、6年生男子のサッカーと野球だ.
だれ憚ることなく堂々と校内に入り、
彼らの動きを観ることでなごんでいた.


なぜか? 別に、図抜けて将来が嘱望される選手、というわけでもないのに.

なぜ、私は、そんな子どもの運動を観たいとおもうのだろう.



――――――


おもえば、勉強もまた、「観る」 作業だった.

空調のきいた図書館や研究室で、古文献を読み解くこと、それが私の研究生活に他ならなかった.
ルーン石碑の調査には、スウェーデンの原野を踏破して巡ったが、
仕上げの勉強は、やはり、机に向かって、昔の研究者の解釈と自分の見たものとのつけ合わせ、という作業になった.


私は、「観る」 のが、好きなのだろう、きっと.


では、自分の子ならいざしらず、他人の子がなにかするのを観ることを、なぜ私はうれしく感じるのか.



私は、自分の教え子以外の子にも、同じ視線を投げていた.


子ども、


彼らの中には、将来、いまの私にできないような仕事を本職としてする者も多いだろう.
研究者としても、私を凌ぐ者もいるかもしれない.

―― そんな子でも、
いまは、
みんなと一緒に、指導者に怒鳴られながら、半分は自分が好きで、半分は周囲の勧めで、部活動をこなしている.


いまの、きょうのきみらのおもいはどんなだろう.

勇気を得たか、くじけたか、つかれてしまったか、また明日こそ、とおもったか・・・・・・

そうして、きみらは成長して、やがて、こんなおいぼれが知らぬ領域のプロになってゆく.


私は、・・・・・・そんなきみらの、いまの姿を観ることが好きなのだよ.

これから、どのようにも変化成長する可能性を秘めたきみたちの、
まだ翼を広げる前に、それでも懸命に何かのためにもがく姿が、

たぶん、どんな名画にも劣らず、どんなTVプログラムよりも尊く

私の眼に心地よいのだよ.





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