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外国で暮らすこととは
- 2010/04/01(Thu) -
母語が話されていないところで生きることを 「外国で暮らす」 と定義すると

そこでは、私たち日本人がだれしも親しんでいる 「文字」 に頼れることは少なく

もっぱら 「音声」 と 「対人感性」 によって日々刻々生きることになる.



人と接するとき、あるいは、何かのアナウンスを聞くとき、

そこには、「文字」 が残って、私たちにじっくり考える時間をくれることはなく、

一瞬、刹那、にすべてを理解、あるいは、理解のとばくちにひっかかって、さらなる理解へと登ってゆくしかなくなる.


そこで私たちが研ぎ澄ます武器が、「音声」 と 「対人感性」 なのだ.




日本で外国語のリスニング能力を高めるには、
時間で出会う外国人とつきあうか、テープを繰り返し聴く、ことになる.


どちらもバカバカしい、あるいは、無味乾燥だ、とおもって実行しないと、
「外国語を使えないやつ」 というレッテルを貼られかねないが、

私のように、

そういう考えの者でも、いざ、異なる文化のニンゲンや環境に遭遇するとたちまち生き生きする者もいるので、


そういうタイプの人は、外国に行くと、興味という拍車に駆られて容易にその言語に習熟してしまうことだろう.


私は、もともと、人が好き、だった.
話下手であったが、それは、人に気の利いた笑い話などを言うことに価値を認めなかったからで、

確かな人格の持ち主、尊ぶべき知見をもつ人、などと話すことはこの上なく好きだ.

(私にこれまで出会って、私を無口、あるいは無愛想とおもった方々は、

私があなたがたの中に聞く耳があるとおもえなかったゆえに語るのを諦めた、と素朴におもっていただきたい.)


外国でずっと生きることを決意した人々は、

きっと、「音声」 と 「対人感性」 を武器に生きることに苦痛を感じなかった人たちだとおもう.

どちらも、あとに残らない、

とらえどころのないもの


そのようなものに、しかし、肉迫して、人間関係や自分の世界をきり拓いてゆくことに愉しみを見出せるなら・・・


世界は、もうそこにあることになるのだ.


k

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