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若さ
- 2010/03/23(Tue) -
―――― K29同窓生、および、まだ二十代の読者へ ――――

もう半世紀を越えて生きた我々は、いま、ようやく、若さというものがわかった気がしないか、昔の友よ.

・・・なんてことを言うと、年輩者に哂われるか. 「何をわかったふうな、若僧め」.


二十代初めにしていた生き方が、たぶん、人が老いを迎えるころにも、せざるをえないのだとおもうよ、若い人よ.


若い時には、たえず、心の背景に音楽がなっている.たとえ、それが、まだ知らぬ曲であっても.

それが、自分の精神と肉体の推進力の発動とともに奏でられるとき、若者のいのちは凱歌をあげつつ活動する.




老齢になると、音楽が消える.

その代わりに、世界が、そのまま見えるようになってくる.

自我が薄まったために、世界が、だんだんあるがまま耳目に入ってくる.

世界が入ってきても、それでまた、のぼせて立ち上がったり、どこかにすっとんで行ったりしないで、
ただ、ああ、とだけおもう.

老齢に近づいても、人とは話し、出会うから、自分の考えを言うこともある.

自分というものが、他人のだれよりも自分でわかっているようになっているから、
自分の考えを他人に述べる場合も、
的確な言葉を用い、適度な程度に言葉の強さを抑え、それで相手を動かそうとは意図しない.

聞く耳あれば、聞くがよい、とだけ.


我々よりも二十年とか長く生きている人はさらにいまの我々の段階を見下ろして何か言ってくださることがあるはずだ.


・・・そうそう、昔の同窓よ、
我々が大学浪人したとき、御茶ノ水のS予備学校で世界史を教えていた先生(それは私の先生でもあったが)
その先生と数年前、偶然に某出版社で出会い、いま、メールを交換するようになっている.

予備校を定年になられた先生は、いまも、参考書を書いていらっしゃる.
そんな先生にすれば、我々の境涯など、まだまだこれから、なのに違いあるまい.

先生は、特に私に人生を語ることはなさらないが、先生のいまのあり方をおもうとき、
我々、老齢の扉に近づきつつある者たちが、
いまどのように生きていけばよいかがおぼろげにわかる.

先達あり、

後進あり、

我ら自身も、他者の先達であり、また、後進であり、

そうして、人人は、自然に変わり、他を観て自己を変え、生きつづけるのだろう.





すべて このように あるように





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