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真に教師たれ
- 2010/02/14(Sun) -
生きていることで、人はいろいろなことを考える契機がある

独りで生きていたとしても、たとえば、洗濯物が風に翻るさまを観て何かがわかることもあった


まして、職場で、さまざまな人生経験と意志をもった人たちと混交することで、ものを考えることができる


だが、職場でのそのような思考は、多分に、異なる考え、異なる段階の理解力をもつ他人との調和を目指すことになる




一方、教師と生徒との間のそれは、いくぶん趣が異なる

教師は、教え子がどうしてここがわからないのかをまず考える

理解しない教え子に単純に怒るだけの教師はここでは論外


自分のおもうとおりに精神が開発できない子どもを観るとき、

教師ならだれでも、

自分がその教え子の精神のあり方をつかめていないことに気づき、

その相手の精神を把握し、沿いつつともに進むよう考える

この構造は、相手が大学院生でも、小学生でも同じことだ


その過程で、教師は、自分の精神を拡充することができるようになる



だから、偉大な人類の教師たちは、みな、教え導く弟子たちをもっていた

それが、彼ら自身の精神の進化にも必須のものだったからだ


ありがたきは、あとから来るものたちである


c


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