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- 2010/12/02(Thu) -
以前の大学入試センター試験の英語は、最後の第6問が物語文の長文読解問題だった。
そのある年の問題で、妻にも死なれた老人が、娘夫婦と暮らしていながらも独りになる時間ほしさに釣りに行く話があった.何も釣れないと言われた湖で、自分の思索にふけりたいためだけに釣り糸を垂れる老人だったが、ある時、大物を釣ってしまう.しかし、・・・一瞬、周囲をあっと言わせることの凱歌を思い描いた彼だったが、自分の独りの場所を守るために、その魚を逃がして、また釣果なし、ということで嫁夫婦の家に戻る・・・という話である.


センター試験のこの第6問にはおもしろい話が多く、私は、予備校でも、これらの問題文を訳読するのを愉しんでいた.

しかし、この問題については、自分には未知の老人の境涯の話であり、「独りであれこれ考える」 ということが本当に年をとったらしたくなるとはどうもしっくりこなかった.好きな相手と一緒にいるほうがたのしいだろうに、と当時、40代前半の私はおもっていた.


☆ ★ ☆ ★ ☆



「雑音がない」 という言い方がぴったりくるのかもしれない、ここ、沖縄の離島の生活は.いや、「離島」 というのは正しくない.最初にいた、島民が400人にも満たないところは、かえって、周囲から拘束されて、雑音まみれ、という感じだった(特に、内地出身の 「自称・沖縄通」 の五月蠅さ・鼻の高さは噴飯ものを通り越して阿呆の見本だった.たぶん、そんな迷惑な内地出身の人種が多いのも沖縄の特徴かもしれない).そして、その後にいた石垣島は、東京の喧騒が漂い始めていて、やはり落ち着かなかった.私がいまいるのは、宮古島である.


「雑音がない」 というのは、文字どおり、平日の昼間でも、東京のお盆のような街がもつ静けさ、という意味もあるが、もっとたいせつなことは、

自分の中に雑音が生まれにくい


ということでもあるのだ.

子どものいる恋人と同棲しながら、初めての土地の大学でスウェーデンから4年ぶりに帰国して博士論文を書いていたころは、なぜか腰を痛め、異常ないと言う整骨医には、そんなにいろいろあったら、あんた、腰くらい痛くなるよ、と切り捨てられた.

その後、心筋梗塞になって、東京の出版社に移ったときも、仕事はともかく、私を迎えた者たちの思惑に当時はとまどうこと多く、いま思えば、有効にものを考えられていなかった.

「雑音」 はみな、自分の中から出るのだ

そういう意味では、うるさくてものを落ち着いて考えられない、というのは、とりもなおさず、自分の落ち度だ

そうはいっても、しかし、人は、環境に影響も受けざるを得ない

だから、出家者・修行者は 「雑音」 のない土地に引きこもる


そして、私もまた、この島に来て、たぶん、スウェーデンにいたときよりも落ち着いてものを考えられるようになった


これも、年をとって対外的に動くことが少なくなった、ということのせいなのか


いや、理由はなんであれ、

こういう状態は、たぶん、生きてゆくうえで必要だったものに違いない


だいぶおそくなったが、いま、ようよう周囲を観るのが可能になってき、ほっとしている.


(2010.1.10.記)




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