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教育者
- 2009/12/30(Wed) -
島の、私のところに机を使いにくる子どもが成績をもらう時期になり、
親御さんからその結果についての相談を受けざるをえないことがある.

ある小学6年生の担任が、親御さん宛てに、この子は中学になったらどうしようもない子になるでしょう、とか、
努力してもこのような態度ではみんな台無しです、とか伝え、親御さんは心配で仕方なく私を訪ねてきた.


私が親御さんに言ったのは、

どんな教師も人間である以上、怒りを発することもあるし、成績を自分の感情からつけることもある.

所詮は人間が人間を評価できるはずはないので、先生の意見も一他人の意見とおもっていなさい、

ということだった.


◆◇◆◇◆


人間が人間を評価できはしない.


しかし、学校教育を行う以上、入学試験はしなければならず、成績もつけなければならず、
それで、教師がその選抜・評価の権限を与えられているだけなのだ.

だから、ある学校に拒否されても、別のもっとよい学校で受け入れられる生徒もいれば、
ある教師に徹底的に否定されても、別のもっとよい教師から最大の評価を受ける学生もいる.
一人の恋人に去られても、別のよき人間に愛されることがあるのと同じである.


◆◇◆◇◆


それにしても、教育は、昔のギリシャ人が言ったように、
身体を治療するのが医術であるが、それ以上に、若者の精神を陶冶する作業として重要だろう.

そして、人間の教育を人間が行わなければならない以上、教師の精神の陶冶もまた重要になる.

だが、昔のギリシャ人たちもソクラテスを死刑にしたように、

人はやはり人を正しく理解し、評価することは永遠にできないのかもしれない.


ここに、人類の未完成の大きな一因がある.


それでも、私たちは高みに目をあげて前へ進む心がけを捨ててはならない.


私たちに、あとに続くものたちがいる以上は.




an




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