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学校生徒を恣意的教師から守るべきこと
- 2009/11/28(Sat) -
特に日本では、学校教師が生徒を公正に扱わないことが多い。

これは、ふつうの親御さんには気づかれないことで、先生が 「この子はだめ」 と言ったら、親としては引っ込むしかなくなるのが当然だと思われている。

しかし、学校教師というものが生徒を公正に扱うことは、特に日本のような 「情実重視」 の社会では、むしろ稀なのだ。

どうして先生がそのような不公正なことをするかというと・・・・・・まぁ、行儀のわるい、あるいは、言うことをきかない生徒をいじめようとして不公正なことをする教師もいるだろうが、ここではそれは論ずるに値しないから除外する。

教師が教室を望む方向に運営しようとする場合、具体的に、どの生徒にどのような位置づけをするかを、対外的に、あるいは、人間関係的に、あるいは、生徒個々の性質面などから真面目に考慮した結果、

―――― この生徒は、性格的に自分が第一位という優越感を与えてもっと伸ばすしかない、だから、たぶんもっと優秀なあの生徒はクラスでは 「それほどでもない」 とみんなに思われるように扱おう、とか
―――― この生徒の実力を認めると以前がんばっていた彼らが追い抜かれたと気づいてくさってしまうだろうから、この生徒の力が出ないように扱おう、とか
―――― この生徒はこれからが期待できるから、なんとかできる生徒たちと自分が伍して勉強できると思い込ませるようにしよう、そのためには、本来優秀なあの生徒には躓くような難しい質問をあえてしよう、とか
―――― 教室全体に健康的な空気をもたせるために、彼らとはまともに接せずに、単なるはぐれ者として軽く邪険に接しよう、とか

さまざまな計画で生徒を恣意的に扱うのが、「教室経営に熱心な」 先生のとる常套手段と言える。


しかし、言うまでもなく、このような先生の計画から外れた生徒は「冷や飯」 を食うことになる。こうしたことは、一人の先生が教室を監督する小学校と大学院で特に顕著になるのである。この初等教育学府と最高学府の教師が、ともに恣意的な人間である、という皮肉が人生の最初と学問修業の最初で行われることが日本の教育界の不幸なのだ。

教師がこのようになるのは、多分に、彼らが、生徒に嫉妬するほどにあまりに 「日本人」 だからだろう。

コンプレックスの根が深い日本人たちよ、私はきみらを哀れにおもうが、私はもはやきみらを相手にすることはしない。人生の時間は有限で、私がなすべきことは、きみらを非難することではなく、もっと価値あることでなければならない。
せめて私は、私の知る子ども・若者がそのような教師の餌食になって悩まぬよう言葉をかけ続けることが、この問題に対する自分のささやかな社会奉仕だと思うことにしている。

f



付記: 私自身はといえば、小学校四年の加藤紀子先生、五六年の平本美子先生の教室でのあり方はすばらしいものだったと感謝している。大学では、これも学問の尊さを教えてくれた先生に出会えたが、その逆の未成熟な教師たちも如実に見た。


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