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結婚、あるいは、スウェーデン的に独身でいること
- 2009/11/15(Sun) -
この島に引っ越してきた当初、「信用が違うから、固定電話を引いたほうがいいよ」 と言われたのでそうした。
東京ではあまり意識しない事柄だ。

自著を島の教育関係者に寄贈したとき、
「あんたは独身か。独り者は信用されないから、所帯をもったほうがいい」
と親切な忠告を受けた。


☆ ★ ☆ ★ ☆



私は、これまで、国内外のどの土地に言ってもいわゆる 「恋人」 と言うべき相手はいた。
しかし、とうとう、半世紀生きた間に結婚した相手はいなかった。

それらのどの恋人とも、多少の苦しみをもって訣れてきたわけで、夫婦になっていたとしたら、その苦しみに法的なことや親族も巻き込んだことも加わっていたかとおもうと、いささか結婚に躊躇してしまう気持ちはあった。
しかし、40代でクルマの免許をとったとき、それまではクルマを運転する自分などは到底想像できなかったのが、自転車を繰るようにクルマをころがしている自分を見て、あるいは、結婚も、そういうものなのかもしれない、とも思うようになった。
教習所で悪戦苦闘していたころ、知り合いから 「どんなオバサンも最終的には免許をとっている事実を見よ」 と言われて、自分も当たり前にいつか免許がとれるはずだ、と思えるようになったものだった。
結婚も、たいていの人がしている。私にも、できたのかもしれない。気づくのが遅すぎたが。


☆ ★ ☆ ★ ☆



そんな私も、独身でいることで信用がおけない、と言われると、ちょっとおかしいと思ってしまうのだ。

私のスウェーデン時代の先生は、中年以降でも独身女性が多かったから。

私も、彼ら彼女らのように、仕事に没頭した後に広い蒼穹を見上げる時のような、独りの、後ろを振り返らない、自分の脚だけを信じる、きっぱりしたすがすがしさを失いたくはない。それは、私の常の心象風景のようなもので、たぶん、生きるかぎり忘れることはないだろう。

それを、「だめ」 だと言うのは、そう言う人の文化の習慣なので、私は、当然、そんな言葉に影響されはしない。単に、人生観と世界観の規模と重点の位置の違いにすぎないことだからだ。


それでも、いま、半世紀生きて、結婚しておいてもよかったかもな、とちょっぴり思えるようになったのは、自分が少し変わったからだろう。喜ばしい変化だと思おう。
後悔ではなく、選択肢の1つとして、あってもよかった、と。
寝たきりの自分を世話してくれる相手などは不要だが、クルマの時と同じように、結婚すると、人生の新たな景色をまたいくつか眺めることができそうな気がするからだ。
(07.9.18.記・改)


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