2017 05 ≪  06月 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2017 07
スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
ちっぽけな歴史の中で
- 2009/11/25(Wed) -
私がいる島は、まだ、平日の市街中央の朝でも
東京・銀座の元旦早朝のような、人影見えない静けさなので
だから、こんなことを考えるのだろう。


☆★☆★☆


私のところでしか宿題をしない小学6年生の子が、学校の社会の授業であったことを話した。
地球誕生から現代に至る帯グラフの中で、「人類誕生」 はどのへんかを先生がみんなに示させたそうだ。
その子は、右端のほう、左端の 「人類誕生」 から10分の9あたりのところにしたそうだ。
「ぼくがいちばん右側だったよ」 と自慢そうに言っていた。
「もっとだなぁ。カステラが横になったとして、茶色の部分があるあたりだよ」 と私は言った。

そう自分で言ったときに、何かがアタマの奥で光った。


いまからすれば非文明の江戸時代の人も、いや、清少納言の時代も、
人々は、日に数度食事をし、蕎麦をゆでたり魚を焼いたりし、
雨が降れば雨宿りをし、傘をさし、雷がなれば走り、
排泄のたびに尻を出し、疲れれば横になっていた。
私のように、子ども相手に寺子屋をしていたはぐれ武士もいたろうし
滝沢馬琴が筆を使うように、私は、コンピュータに依存している。



便利になったものも無数にあるが、その多くは、私たちに 「安楽」 を提供するものだ。
ヒトはますます 「安楽」 を提供する機器をつくりだすのだろうが、
その代償として、地球資源を貪り、地球環境を破壊してきた。
絶滅する動物は、地球誕生以来無数にあったのだから、いま絶滅しつつあるものも仕方ない、
という意見もあるだろう。もっとも、その遠因は、私たちヒトが石油製品を享受するためなのだ。



たぶん、ソクラテスが若者と議論し、夕方には家で奥さんに水をぶっかけられていたように
私たちの生活も、なすべきこと、たのしみごと、やっかいなことなどが入り込みで繰り返され
生きることには、いまも昔も、とりたてて高尚な意義などは存在しないのかもしれない。



ただ、いまは、便利な機器が満ち溢れているため、また、
それを享受できるか否かは所持する金銭にかかっているため、さらにまた、
所持する金銭は往々にして人々の間に不均等に分配されているため、その結果、
現代は、他者を陥れ、欺き、害することで自己の物質的優位を保とうとする輩が圧倒的多数派なため、


ソクラテスや釈尊や、さらに近い紫式部の時代などよりも、
複雑にゆがんでしまった人間が細菌の如くはびこっている時代となった。




私たちが文献で知る数千年前の人々といまの私たちを比べると
安楽を工夫する知恵は伸長したものの、
生物学的なヒトとしての基本的な部分では当然ながら横這い状態で、
そしてさらに、人間としての質ということになると、どうやら横這いというよりは下降気味のようだ。




私たちはこのあと未来のために何ができるのだろう。
おそらく、後の世代によき転換が起こるよう祈るしかないのかもしれない。



(09.5.23.記・改)


この記事のURL | 世界 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<清掃 | メイン | ありつづく>>
コメント

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://odjinn.blog69.fc2.com/tb.php/343-68c8381e
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。