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若者のやむをえぬ欠落点
- 2009/05/26(Tue) -
この年齢まで生きてきて、また、
過去の自分、およびこれまで出会った若者たちを見ていて
そして、いまも私の机に勉強にくる高校生たちを見ていて
気づいたことがある。



年齢を重ねたものより、若者は、明らかに、他者に対する関心が薄く狭い。



このように言うと、反発する人々も多いだろう。
若者はへだてなくさまざまな場所に出入りし、
多様な交友範囲をいともかんたんに拡大するものだからだ。
それは私も認めたうえで、上のように言うのである。



若者の他者への関心は、
他者が自分に何をしてくれるかという一面的なものであることが普通で、
その人間全般を理解しようと観察する姿勢ではないのだ。
なぜなら、それは、発展途上の自分にただちに役立つ作業ではないから。


ゆえに、他者・社会をほんとうに関心をもってみている若者はきわめて稀だ。


私は、大学に行った生徒からメールが来ると、きまって書くことがある。


「優れた人に出会ったならば、その人がどのようにしてそうなったか
その人をよくよく観察してその理由を探りなさい」 と。 



若者は、教師をもの教えてくれる人として頼り、見、
上司・雇用主を、お金をくれる人として頼り、見、
このましい異性を、自分の可能性ある交際相手として近づき、見、
身近な人々にいたっては、空気の如くにしか見ないことが多くないか。



若者がそのようになるのは、家族や組織によって守られているからだが、
その庇護がいかに大きなものかもわかっていないことが多い。



また、若者は、自分の倍・3倍生きた人がどんな人生経験をしてきているかがわからない。
想像力豊かで、共感能力の高い子は、自分に 「未知の人生」 に対して畏れと敬意を抱けるが、
たいていの若者は、自分の僅かな人生経験を応用して年輩者に対そうとする。
それが、「努力」 とか 「希望」 という側面ならば、その未熟さもほほえましいのだが、
年輩者からすれば人生で見飽きた 「怠惰」 「嘘」 を若者が演じ、糊塗しようとするとき、
自己の未熟を顧みない、そのニンゲン的愚かさを私たちは憐れまずにはいられない。
いったいだれが、なにが、このようにこの若い魂を惰弱に腐らせたのか、と。



◆◇◆◇◆



若者がどれほど二十代三十代で成長するかは、
ひとえに、他者をどれだけ深く観察理解するかにかかっているのである。
組織の庇護で支えられている 「力」 を実力と勘違いしたまま成長した若者は……

まあ、その末路は世間にたくさんいるから敢えて述べずともよかろう。





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(本記事は2009年4月17日に書かれた.)

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