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ヒト、人 ―― 受験生たちへ
- 2009/02/16(Mon) -
入試の季節なので、日々、私のところの机を使いにくる18歳と15歳の子どもたち、つまり、大学・高校受験生が目にはいる。
その結果、彼ら彼女らがどのような頭脳・性格・思考の持ち主なのか、そして、どうしてそうなったのかを考えざるを得ない。まあ、私が心配してもしようがないのだが。


そして、同時に、私がこれまでの人生で出会ってきた人々の人間性をもまた思い出して、私の前にいる子どもたちと部分的に重なるところがあるかどうかを考えざるを得ない。(私が出会った人々はいずれももうそれなりの齢なので、彼らの 「頭脳」 の点にはもはや若者に対するほど期待できるものはない。)


人を知る、理解する、ということは、所詮、このような仕方、すなわち、「類推」 によってしかできはしない。この子どもは、あの知り合いの研究者と似た集中力をもっている、だから、このように彼の頭脳を刺激してみよう・・・・・・あるいは、・・・・・・この子の考え方は昔のあの恋人と似ている、では、この側面から励まそう・・・・・・あるいは、・・・・・・この子のいまの気持ちのあり方は昔の私とかなり重なる、だから、私がした失敗を回避させようか、あるいは、いまはそのまま見ていて躓いたあとで考え直すヒントを与えようか・・・・・・などというように。


とどのつまりは、人を理解する、ということは、もともととてもあやふやなもので、ある意味、「到底できはしない作業」 、だともいえる。(したり顔で人をわかった気になって他人に 「烙印」 を押したがる者には、その無知への憐れみあるのみ。)


まして、高校生ともなると、もう、それなりの頭脳とその働き方と、社会に対する見方、人生観、などができている子どもも多い。


人は、頭脳の性能、思考の仕方、ものの見方、などは実に多岐にわたって異なる。ヒト科の生物、ということでみんな同じ身体構造をしていても、こと 「外界への視点」 ということになると、私などは、これまで出会ったある種の人間たちとは、私と生物学的種(しゅ)を異にするイヌやネコやカメとの間のそれよりも、隔たりがあったものだった。


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かように人と人が中身において異なる、ということは、逆に言えば、人生社会のある事柄はある人にぴったりふさわしく時宜を得、ある人には不適である、ということもありうる。
自分の身体に向いていないスポーツを憧れだけで始める子どもは多い。
いま私の部屋にいる子どもの中にも、センター試験には不向きだろうが、研究室でこつこつと作業をする時が来たら実力を開花させるだろう、あるいは、社会に出て人と交渉協働して仕事をする時になると才能を顕すだろう、と思える子どもなどもいる。



それでも、いまは、みんな、「入試」 という同一のハードルに向かって駆けてゆく。


たとえ、そこでひっかかっても、おもうように跳び越えられなくても、きみの 「時代」 は必ず来る。
それを覚えておきたまえ。
そうして、ニンゲンらしく、頭脳を正しくつかって、ハードルのあとも蒼穹を見上げながら駆けてゆけ。


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