目覚めた人たちの道
- 2017/09/14(Thu) -
釈尊が思惟し、ソクラテスが思考したころよりは、
現代に生きる人々は、学校教育のおかげで、
ニンゲンの細胞が生まれた時から生成と死滅を繰り返し、
ついには死滅が支配するということを常識で知っているし
ニンゲンは世界規模の殺し合いを何度も懲りずに行ってき、
いまも飢えて死ぬ子どもたちが世界のあちこちにいることを
歴史を勉強することで、ニュース報道に接することで知っている。


それなのに、釈尊が覚醒した知恵や、ソクラテスがこだわった知恵を
いまだに人々が身につけられないのは・・・・・・それが、ニンゲンなのか


かつてニーチェは、「喜びよりも悲しみのほうが深い」 と言った。
確かに、たとえば、子猫を見ても、かわいい、と喜ぶよりも
それがクルマや他の動物によって早々に殺されることが 「真実」 と諦(あきら)めているほうが
自身の心を守ることはできるだろう。
しかし、たとえ、「常なるものは無い」 のが真実だとはいえ、
世界の喜びの後ろに全て悲しみを見る目もまた、偏った見方の1つだろう。





ニンゲンが、本当に、仏陀の知恵、つまり、目覚めてしまった人の認識知や
ソクラテスが追究した知識を、あたりまえのようにわきまえるようにならない限りは
政治指導者同士の、あるいは、研究機関での、あるいは、
学校や近隣同胞との、争いもめごとは終わらないだろう


釈尊が目指したのは、全ての人々が自分と同じような知恵を得て
世界全土がまっとうに動く地上の姿なのだったろう


争いこそが、競争を生み、仕事も研究も進歩させる、という考えは、
そういう状況しか知らないニンゲンならではの理屈だ。
相手を虚偽によって落し入れ、密室会議で出し抜くやり方での 「勝利」 など、
所詮は、蝸牛の争いの勝利にすぎず(あるいは単なる当事者の安逸のためで)、
そのようなものは、人類全体の進歩にも、社会善への前進にも何ら寄与しない





世界はこのようにあるのに

ニンゲンたちの間では、なぜ、「見えない」 者たちが圧倒的なのか


(本記事は2008年10月7日に書かれた)


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