トンウェイの記 ―― 異国での死
- 2012/12/27(Thu) -
私がスウェーデンで最初に住んだコリドーには、スウェーデン人6名のほかに、スペイン人、イタリア人、イラン人、シリア人などが住んでいた。
中国人の彼女は、そのコリドーの一番奥にいた医学生だった。
彼女は、私に、古い自転車をくれ、東洋食材の入手の仕方を教えてくれた。また、中華料理の手料理もよく分けてくれた。


彼女の部屋に招かれた時、私は、愉しい話題になればいいと願い、彼女に 「恋人はいるか」 と尋ねた。
私の期待に反し、彼女は 「いない」 と厳粛にはっきりと答えた。
彼女のところには、時折中国人男性が訪ねてきていたが、彼女は、彼は恋人ではない、と述べた。
スウェーデン語を話せない彼女の英語は、その時だけ、なぜかとても事務的に響いた。



それからほどなくして、、ふっつりと彼女の姿がコリドーから消えた。




私たちが、たとえ研修かなにかで泊まりこんでいるにせよ長すぎる、と噂していたある晩、私たちのコリドーに刑事2人と数名の警官がものものしく無言で入ってきて、一番奥のトンウェイの部屋を荒々しく開けた。


トンウェイは、自室で死んでいた。5日ほどたった彼女の死体を警官が担架に乗せて呆然とする私たち住人の前を通って行った。



それから、刑事による、コリドーの住人である私たち一人ひとりの尋問が始まった。



私の番になり、私は、トンウェイが死んだと思われる夜に、私が中国語の言い争うかのような声を深夜2時ころに共同キッチンのほうで聞いた、と述べた。すると、刑事は語気を荒げて 「なぜきみはそのときに部屋を出て様子を見に行かなかったのか」 と詰め寄ってきた。

中国語は、はたで聞いていると、日常会話でもなんとなく語調が強く聞こえるものだし、また、例の男性が来ているのだろう、と思い、無粋なことはしたくなかった、と私は答えた。
最後には刑事は私のスウェーデン語をほめてくれ、私の尋問は終わった。

そのあと、尋問されている以外の者が待機しているよう指示された部屋で、私以外のコリドーの住人は、その中国人の彼が以前はトンウェイと奥の部屋で同棲していたのだと私に語った。私にはそれは初耳だった。

それから何人かが尋問を受けていた間、刑事のトランシーバーが鳴り、その彼が自室で縊死しているのが発見され、遺書から、恋愛関係のもつれで彼が彼女を殺した上で自殺をした、との事情も明瞭になったため、警察はコリドーからあっさりと引き上げた。



それから数時間後、私たちコリドーの住人は全員、学生寮の屋上に上がり、雪の中に雪洞をつくり、ろうそくを灯し、亡きトンウェイに祈りを捧げた。

トンウェイは中国には親はいず、いちばん近い親戚はまだ小学生の姪だった。私は、彼女が描いたという絵をトンウェイからもらったことがあった。
しばらくして、トンウェイの遺骨は、遠路中国から訪れた遠い親戚が持ち帰った。

(2006.6.2.記・改)




――――――


2月になり、ここ南の離島もきょうは昼から薄暗い。そんな蒼穹が、スウェーデンで最初に私にやさしくしてくれた娘の温かさを思い出させた。



この記事のURL | 世界 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<子猫たちへ | メイン | 日本人の精神伝統>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://odjinn.blog69.fc2.com/tb.php/21-0a6d5a4c
| メイン |