スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
男女の隔て
- 2017/08/22(Tue) -
日本人よりも、外国人のほうが、男女の間の距離が近そう、あるいは、フランク、あるいは、闊達、であろうことは、TVの外国映画などで感じた日本人は多いだろう。もっとも、その大半はアメリカ社会の描写なのだが。

スウェーデンでもまた、その通りで、日本人としての私の偏狭な 「人・異性との接触の常識」 は覆された。そして、「アメリカ」 と比べても、スウェーデン社会の男女の壁ははるかに融通がきいていた。アメリカやドイツやロシアから来た女子大生たちも、私同様に、スウェーデン人の女性教員の自由さには驚きを隠さなかった。

1人暮らしの女性でも、家に招いて晩餐をともにする男性は何人かいるものだった。私も、何人かの女性にそのような招きを受けて家に行った男の1人だった。

無論、そこになんら 「いかがわしい誘惑」 などがあるはずもない。日本流の誤ったスウェーデン観(あるいは、誤った 「性意識」)のせいで、そのような場合、「家に招かれたらOK」 などと勘違いする輩は、スウェーデン社会には存在する場所がない。

男女が親しく出会っていると、すぐに性のにおいをかぎとる日本人たちは、自ら道徳家ぶって他者を非難糾弾することで自らを高めていると思っていることだろうが、日本社会ではいざしらず、一人間としてみた場合、自らの 「世界」 を狭隘なものにしているだけのことだ。

そのような人は、人類の半数と 「親しく、効果的に、意義深い」 つきあいができる機会を抹殺しているのだから。

自分より優れた人格、自分にない感性をもっている人、自分が学べるところのある人間 ―― そういった人間を排斥することしかできない日本人は、ちっぽけな 「地位」 や 「利権」 を手にしてそれを守り享受することしか願うもののない者に実に多く存在する。

なぜ、自分にない能力をもった人間を、性意識やコンプレックスのゆえに歪んだ扱いしかできないのか。

もっと世界を見ろ。もっとひろびとろと人間を受け入れよ。異性でも、その能力・人格・感性のゆえに尊ぶ心を身につけよ!


(本記事は2007年12月13日に書かれた.)
この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
<<偉丈夫 | メイン | スウェーデンの性教育の本質 ― 『14歳の母』 について・続>>
コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://odjinn.blog69.fc2.com/tb.php/188-908a9b95
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。