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我らは我らの流儀で
- 2016/05/09(Mon) -
「ヨーロッパ人の 『複数言語』 習得」 が意義高いものとして、我が国の一部でも語られている.
そりゃあ、結果から見れば、それがすばらしいものであることは当たり前だ.
しかし、そこへ至るプロセスも、とりまく環境も、ヨーロッパ人と日本人はまるで違うのだから、
徒に彼らを羨望しても意味はない.


私もスウェーデン留学前は、日本の大学で、そのまま 「多言語習得者(polyglot)」 という単語を冠した勉強会を開催していた.
私たちには、世界を知らない日本人大学院生の意志と気概と、そして、相当な優越意識が溢れていた.

◆◇◆◇◆

その後、スウェーデンに行って、polyglot などと日本で気取っていた自分たちの偏狭な愚を思い知った.
私のいた大学は北欧第一の伝統のあるところだったので、学生もそれなりに優れていたのだろうが、
当たり前の学部生でも、複数の現代ヨーロッパ語とラテン語くらいはわかっていた.
しかし、それは、私が日本でしていたような地味な勉強の結果ではなく、
環境が彼らをそのような能力ある者に変えたのであることをも知ったのである.


スウェーデンでスウェーデン語を習い修得した私は、
労せずして、ノルウェー人ともデンマーク人ともアイスランド人とも会話できる自分を見た.
それは、スウェーデン語の音と微妙に異なることさえわかっていれば理解できる程度の 「外国語」 だからだ.
さながら、東北弁の日本人も関西弁を話す日本人と意思の疎通ができるのと同じである.

同様に、イタリア語は知らなくても、ラテン語をアレンジすることでイタリア人とも話せた.
あとは、会話の過程で、イタリア語の呼吸を肌で感じていけばよいだけだった.

c


ヨーロッパ人はそのようにして複数言語習得者になるのである.
一方、日本語は孤立言語であるため、
日本語ができたからといってすぐにそれで理解できる外国語がありはしない.

しかし、私たちが学校英語で 「不定詞の否定は to の前に not を置きますよ」 と習った知識は、
同様に不定詞をもつ他のヨーロッパ諸語でも流用できるし、

現在では実現できないことの願望」 を表しているのに 「仮定法過去」 という、
日本の高校生には混乱を与える名称で呼ばれる現象の理解も、
古い時代の言語を学べば、その構造の由来が理詰めで理解できる.

私たち日本人は、理詰めで理解する段階をとばして外国語を学習することはできない.
その後に、ヨーロッパ人流の 「肌で習得する」 段階に移行するのがよかろう.
理屈を知らないで 「肌理解」 だけに頼ると、所詮は高等な内容の運用に支障が出よう.
外国語を使ってマーケットで会話ができても、その言語で論文が書ける頭脳は、また別の次元のものだし、
私たちは、彼らのギリシアやローマに匹敵するような、
母国を越えた 「外国のふるさと」 を持たないのだから、
所詮、「肌」 で学んでも、彼らの民族の伝統には迫れないことをわきまえねばならない.


k


(本記事は2007年10月27日に書かれた.)


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