礼儀
- 2007/09/05(Wed) -
わたしの拙い著書を教育機関に配本すべし、ということで、助成金をいただいた。それで、いま毎日、その作業におわれている。まあ、検索数アップのために私の名前をHP上で登録しているNPO団体からは会員情報が来なくなったので、いまは個人研究者見習いということで一人で海に出るだけの日々ゆえ、そんな作業も、また、よい。

各大学図書館から、寄贈希望のメールが来るのだが、それがいろいろでおもしろい。簡にして要を得たメールを担当者名で送ってくる大学もあれば、歯切れのわるい文章で、「○○大学図書館」 というだけの名前で寄贈希望をしてくる大学もある。

わたしのところにに出入りしている高校生に、「きみが来年行く大学の図書館の人はしっかりした文章を書くよ」 と、よいメール文章は見せている。その逆の場合は、見せないが。

わたしは、もともと、ぼーっとしている人間なので、人に怒る、ということはあまりない。担当者名がない図書館に、どう送ればいいか迷うが、それでも、とりあえず、発送している。

わたしがいたNPO団体には、会長以下、(彼らの内輪によれば)「喧嘩っ早い」 人がいたといろいろな関係者から言われる。しかし、それは、正しい表現ではなくて、「虚勢を張るのに懸命な人が多かった」 というのが正しい。

会長はなんで虚勢を張るのか彼の心理はわからないが、30才過ぎで研究所の責任者になった男は、まさしく虚勢の男だった。

彼自身は、人と談笑し飲むだけの日々を、どう仕事をしていて多忙で動けないかと糊塗するために、仕事を依頼されると、怒ったり、周囲を攻撃したり、見下したりするばかりだった。

憐れむべきは、そんな彼らのNPOに献金している企業だが、しかし、彼自身の人生をも、もっと憐れむべきだろう。

そんな彼は、忠告したわたしに 「年長者は、年下の者に怒ってはいけませんよ」 と言い返したことがあった。

それは、きっと、彼がわたしの言葉を歪曲して伝えた年長者から聞いたことばだろうが、それを、当の 「年少者」 である彼自身が言うことの滑稽さ、文法的おかしさ、に気づいていないところに、わたしは笑えた。― というよりは、彼の頭脳に救いがたさと憐れみを感じた。

そんなつまらないこともちょっと頭をよぎった、きょうも汗したたる暑い午後だった。

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