プリンス
- 2016/05/11(Wed) -
先般、私と同い年の歌手のプリンスが亡くなった.



美しいまま死ぬ、ということは、人生の幸福のひとつに昔のギリシャ人が数えたことだと記憶している.



私がその歌手の訃報をネットで知ったとき、私が真っ先に思い出したのは、私の知る、あるプリンスのことである.



このことは、私の翻訳書のコラムにも書いてあるので重複することになるが、大方の人はその訳書を知らないであろうから、書いてもよいだろう.



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スウェーデンでのことである.



私が登校しようと自転車で行っていたら、道端にしゃがんでいる白髪の老婆がいた.80くらいはいっていそうだ.



心臓でも気分がわるいのかとおもい、「だいじょうぶですか」 と声をかけた.



老婆の答えは、「私のプリンスを獣医に連れて行こうとして、いま、休んでいるの」 というものだったので、ひと安心.



プリンスとは、老婆の横に置かれたキャリーケースの中の大きな白いペルシャ猫だった.



私は、自転車を押しながらそのケースも運び、老婆を獣医まで連れて行った.



獣医の診断が始まったので、私は大学に行こうとしたら、獣医が 「きみはもう行くのか」 と言う.



私は、自分はこの老婆の家族ではないこと、大学に授業があること、などを言ったが、結局、診察を一緒に聞き、老婆が帰宅するのを送ってゆくことになった.医師の言葉もよく把握できないほどの高齢だったのである.帰途も危ぶまれた.



彼女とプリンスの住まいは、スウェーデンに普通の共同住宅の一室で、開けられたドアの内側は、私の部屋よりも格段に乱雑で、まるで大地震のあとの家屋の内部のようだった.むろん、家人がほかにいる形跡もない.



老婆は、世話になった謝礼として、私に大きな50kr硬貨を差し出したが、私が固辞すると、さらに小さな硬貨を出そうとするので、私は 「さようなら、元気でね、プリンスも」 と言って老婆の住まいをあとにした.



それから数か月後、私が私の猫とともに老婆とプリンスを訪ねたとき、もうそこには、白髪の老婆も、白く端麗なプリンスもいなかったのである.




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このことで、スウェーデン人的なことがいくつかある.



1.スウェーデン人は見知らぬ人の好意も素直に受け入れる



2.若いものが高齢者を助けるのを当たり前のことと社会がみている



3.お金はどんな人にも共通に大切なもので、小さな謝礼の道具としても価値がある



4.動物は家族もおなじにいたわるべきである



といったことだろうか.







私が我が家の毛者たちにふつうに話しかけるのも、特別奇妙な行為ではないだろう.

彼女彼らも、私の言葉に応じて、異なる声調で答えるところをみると、私の言葉をわかっているのだろう.

彼女彼らは、なにしろ、我らニンゲンよりは高等なところ多いのだから.


Rådyr
(ウプサラ大学学生寮近く)
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