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思考することなく意識する
- 2016/04/26(Tue) -
Facebook などを見ると、高校時代の知友などは、さまざまな社会・科学の問題の記事を引用したりして、いまも勤勉なことがわかる.

私は、いま、なにか社会や科学の問題でやきもきすることがない。たぶん、勉強を懸命にしていた20~40代もそうだったろう。少しでも早く、未解の古文書を読み解くことだけが念願で、その前は、平行棒で棒状宙返りができることが毎朝の念願だった。要するに、社会で無用の存在だったわけで、その結果のいまもそれはかわりないが。

いま私が、思考するのではなく、たまに意識にのぼせてみるのは、悲しい、という感情はどのように接すべきものか、ということだろうか。(文字にすると、心とぴったりしないのだが。)

自尊とか、自慢とか、自惚れといったような感情は、人生の幸福かもしれないが、それが愚かな感情であることはたいていの人ならわかるだろう。

では、悲しみ、とか、sad、traurig、ledsen、などと言語で述べられる感情とは、真正なものなのだろうか、と。

猫や犬も、ともにいたものが動かなくなると、一時はその周囲をまわるが、やがて、自分の生に戻るようだし、自分を悲しむ、とか哀れにおもう、ということはさらになさそうだ。
いや、こう考えること自体、いつもの私の意識とはもう異なる。

だから、ここでこの記事は書くのをやめる。

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