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現代愚
- 2015/12/27(Sun) -
仕事帰りにクルマを走らせていた。

ラジオからは、能天気な島の歌謡が流れていた。「お通り」 という酒の飲み方を称揚する宴会唄である。

仕事帰りで開放的になっていた私も、そんな唄に心の半ば近くまで同調したようだった。

その直後、雨の道路に、小型の野良の、首輪をつけながらも薄汚れたチワワ犬を見た。

ペット動物の幸福は、ひとえに飼い主の意志甲斐性にかかっている。それに 「はずれ」 た犬だろう。

私の心は、ラジオの能天気な気分と、ニンゲンの阿呆未熟の結果に辛酸をなめている動物を見た苦悶が同時に満ちた。

相容れない感情が同時に発生する、───






現代人ならではの悲劇である。



昔なら、



ヒトの心に去来する心象風景など、単一のものだったはずである。



しかし、現代人は、否応無しに飛び込んでくる情報と、昔ならなかった自己の移動能力で見聞する情報とで、

まさしく、「悲喜交々」 の感情を同時に体感しなければならないことが頻繁にある。



矛盾する感情に同時に苦しめられることばかりでなく、自分の真の心根が那辺にあるのかわからないことが、

現代に生きるニンゲンの不幸、いや、すでに欠落存在となった証拠である。





ヒトによっては、そんな否応ない周辺情報を特定のものに制限し、

そこに耽溺し、

自らが巨王になったかのような精神生活を維持することもできるだろう。

そして、残忍な犯罪などへと突き進んで一毫の後悔反省もなしでいられる者もいるのだろう。

いずれにしても、現代ならではの欠陥存在品である。








生きていれば、血涙を振り絞るような苦しみを数度は味わうことになろう。


猫という動物でさえ、目前で子どもの無残な轢死を見ることになる生涯もさして稀有なことでなかろう。


まして、複雑な社会生活を営むニンゲンは、血涙腑臟を絞り出すような苦悶を幾度か経験しなければならない。





それに加えて、冒頭に書いたように、

自己の真の感情がどうなのかも自覚できない環境情報の怒涛洪水の中で呆然とせざるをえない。





ニンゲンは、もはや、美しき強き存在ではありえないのか。

矛盾と混濁した意識でうすら笑いを浮かべることを目指して駆けるしかない存在になったのか。





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