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吾郎はなんで海堂をやめたのか
- 2019/01/25(Fri) -
古い友が携帯のLINEを始めたようで通知があったので最後の挨拶をしておいた. 121126
(もっともその後、現在平成14年になってもやっぱり話しているが.)





彼は、スウェーデンから戻った私が、日本の大学に愛想をつかして仙台でぶらぶらしていた時に東京に破格の給料で呼んでくれたやつだ.その前は、スウェーデンから戻らない私に早稲田が早く修士課程を終えろというので、私の修士論文をスウェーデンからのメールで受けて私の代わりに印刷して製本して大学に出してくれたりもした.





その彼の御膳立ての職場を、私は数年で去ったのである.





理由は、茂野吾郎と同じなのだ.





もう、それじゃあ、おれはつまらないんだ








もっと




生きたかった




だけなんだよ




まあ




わからないだろうけどさ




goro


151115
上の記事が、標題に合っていないことに気づいたので加筆する.

ニンゲンの中には、

自分が属する組織で、

毎日8~90%くらいの緊張感であることが普通、とおもえる種類と、

毎日、昨日と同じ緊張感で生きていいはずがない、とおもう種類がいるのだ.

前者は、ニンゲンの大部分.会社の上席にいるような者はほぼこの種類である.

後者は、毎日、胃がすさむような、

まるで岩壁登攀をするように

日々何かと戦って

前進進化する自分を体幹し続けなければ生きられない種類なのである.


吾郎は、

海堂にいても、昨日と同じように努力進化できたろうが、

その前進度合いは、もう、自分で予測できてしまうものになった.あたかも、眉村や佐藤の進化のように.

その、

自己進化の比例直線のような軌道にのって明日も生きることは、

吾郎にはできなかったのである.

吾郎は、比例的上昇ではなく、

もっと、できるものなら、tremendous  に、極限まで自分を高めなければならないと自己指令した.

明日も海堂のグラウンドを走るのも進化の道だろうが、それよりも、もっと激烈な進化を求めたのである.




かくして、吾郎は、海堂をやめたのであった.




ニンゲンの中には、


少数派だが、


いるにはいる種類のニンゲンの道行である.


Rådyr



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人の品質
- 2019/01/16(Wed) -
(本記事は、2007年10月12日に書かれたものである。)

高校時代の同学年のクラス会のサイトがあるのをきょう知った。
なつかしい名前をいくつも見た。私の記憶では、みな、高校時代のままの顔だ。


それでよいはずだ。


2年前に、高校1年のときの担任の先生を訪ねたことがあった。
その時のことを書いた旧ブログを思い出した。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


小学生や中学生のころの私は、おとなである教師や年上の従兄たちなどに無条件の畏怖を抱いていた。

自分の知らない世界を知っている者への畏敬の念である。だれもが年少時はそうとは限らないだろうが、私はそうだった。

自分が20代30代になるにつれて、過去に畏怖したおとなたちと同じか彼らを越える年齢になって、その畏怖の念が消えて、何か滑稽な思いとともに、年配者にみていた神秘も消えていった。

そんな時、仕事で、高校1年時の担任の先生に会うことになった。
その先生は、当時は20代後半だったが、父親ほど年の離れた教師に対してよりもずっと深刻な距離感を私は抱いていた。
クラスみなが、あの先生にはかなわない、あの先生なら 「人類の標本」 になれる、と本気で思っていた。
私は、その先生とも距離感が埋まっていることを期待して、心愉しく会いに行った。

m


先生は、白髪と顔のしわこそ目に付くようになったが、立ち居振る舞いも、口調も、30年前と変わりなかった。
先生と同じように身体を鍛え、先生よりも長い期間にわたって大学で研究生活を積み、高校教師ではないものの、予備校で教え、学習図書の編集もいくつかしてきた私は、先生の人生経験に迫っているはずだと思っていた。

しかし、先生の前では、私は、やはり、毎日雑巾のようなラグビージャージを着て走り回っていた高校生時代とかわらぬ 「高みへの距離」 を感じたのだった。

人間と人間の差は、無論、年齢によっても生じうるが、それだけではない、「人間としての品質」 とでもいうようなものによってももたらされるものなのだ、と私は悟った。


社会の中で、研究室の中で、その言動是認すべからざる人間を数多く見てきたが、自分にはまだ仰ぐべき人格がこのようにある、ということを知って、往路よりははるかにずっとすがすがしく朗らかな気持ちで帰途についた私だった。


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好悪の感情
- 2019/01/09(Wed) -
人類より優れた感性をもつ毛者たちにも、好悪の感情は確かにあるようだ。


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このふたりはきょうだいのオスで、まだ生後1年2か月である。


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一方、




これは


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我が家で、最軽量、最小でありながら、もっとも年長の、我が家のクイーンである。


当然、他のすべての毛者たちを気迫で圧倒してまかり通っているが、


この、最年少の男子ふたり組のうち、

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これは

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元気で、だれにも遊んでくれとつっこんでゆき、私が台所に立つと真っ先に私の横に来て刺身をねだるワンパク小僧。


ニンゲンの世界にも、どこの家庭にもいるであろう、元気のよすぎる男子で、親戚が集まった時などには、多少、叔父さんたちからうるさがられる子どもと似ている。



一方、

これは

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上記きょうだいと取っ組み合いをしても、常に受身で、くれば相手をする、という立場。

集団でいても、よく食べよく遊ぶが、度を超すいたずらはそうそうしない。







かくして、


いま、

我が家のクイーンの格好の遊び相手が、この、下の子

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なのである。

空気よめない元気一辺倒の子は、どうやら、気難しいおばさんには好かれないようである。

(2015.9.24)


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今年の抱負
- 2019/01/03(Thu) -
日本はまだまだ会話重視の外国語教育、それは、現地コミュニケーションができなかった現在の教育者年配層の苦渋の反映.


本当の外国語教育の方向を知らない日本人は、


向後も、国際社会で、一部の優秀者を除けば、「異文化不能者」として冷笑されながら、国益を損じていくしかないのだろう.


日本の若者の無明を開け!!!

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