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秋の俳句
- 2017/09/17(Sun) -
私がいまいる沖縄の離島にも、昨日、秋の風が吹き初めた.

あきらかに朝日の力がゆるやかになり、風に涼しさが宿った.それは今朝も続いている.

暑さがあったからこそ、この変化を感じとる.


☆ ★ ☆ ★ ☆



私には、昔、つまり、スウェーデンに行くまえ、俳句を詠んだ恋人がいた.

私がスウェーデンに行くと決まった夏の終わり、彼女は、秋と、二人で歩いた早稲田近辺の風景を読み込んだ句をつくった.私は、スウェーデンにいる間からもう彼女には連絡しなくなったが、彼女の句は、スウェーデンの冬迫る前の秋の日差しの下でも、いま、沖縄の炎熱のあとの秋の気配の下でも、口ずさむものになっている.




人間の精神もまた、美しいものなのだった.



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20110907
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重陽の節句に祝う
- 2017/09/09(Sat) -
(本記事は08年のこの日に最初に書かれた.)


今日は、9月9日、重陽の節句であるとともに、

私が、研究者として最も尊敬するある先生の誕生日でもある。



私は、これまで、国の内外で数多くの 「先生」 に出会ってきた。

どの 「先生」 の感化も私は受けてきたが

またどの先生にも、いわゆる、欠落している部分があったものだった。



世界的に認められているある教授は、私はそのために日本に戻ってきたのだが

指導している私の学位論文の一節を自分の学会発表に使って 「ごめんね、使っちゃった」 と笑った。

女性の助手と出かけて、学生の面談時間をすっぽかしても平気だった。



温厚で人当たりのよいある教授は、
自分が大学院教授になるために、先輩の業績のあら捜しにやっきになっていた。



太っ腹、鷹揚を売りにしていた教授は、
私がその専門言語を 「サンスクリットに比べたら簡単だ」 とそのお弟子に漏らしたら、

私のサンスクリットの先生であるこの先生に私の頭脳人格を全否定する電話をかけてよこしたという。



このように、大学教授といってもくだらない人間を挙げればきりがない。



しかし、私が影響を受けた 「先生たち」 の中では、

きょうのよき日に誕生日を迎えられる先生は、

その先生をも批判する人はもちろんいるが、私には

だれよりも学問に厳しく、だれよりも公平無私の人だった。



この先生と、ウプサラ大学で私が出会い

スウェーデンに私がいた間に定年になり、その後亡くなられた古ノルド語の教授は

それぞれ、私が理想とする人格と頭脳をもっていらした、ということで

私にとっては、最も尊い 「先生」 だといえる。



人生の一齣一齣は一回きりしかないものだが


私は、このお二人に出会えたことで、

自分の学問生活は満ち足りていた、といえる気がする。


彼らとの出会いもまた、私の財産、私が生きたことに感謝して死ねる理由のひとつである。



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ウプサラ大學の空気
- 2017/09/08(Fri) -
スウェーデンの、最高学府にして北欧最古の大学、ウプサラ大學の学部・大学院の教室には

よい先生が導く小学校の教室のような

自由で明るく、ただ、学ぶことを愉しむだけの空気が横溢していた.

特に著述はなくとも、その学識は日本のどんな研究者も及ばぬであろう老教授、

彼は、私が目指した、「どんな言語の単語も、語源から音韻法則に正確にのっとってその成り立ちを説明する頭脳」 をもっていた.
そんな叡智の数々を、彼は、まるで、茶飲み話をするように、さらりとこともなげに語ってすましていたものだった.

私の親友だった Cristian Kampitsch はいつも教室の後ろの席で椅子を後二本脚でゆらして鉛筆を噛みながらニーチェを読んでいた.授業は、ドイツ語文法学・ドイツ語翻訳の時間である.
そして、教師になにかつっかかかりたいことがあると、いきなり立ち上がって、教室を縦断して教師と文法論を戦わせていた.
教師 Kenneth も、そんな彼の挑みを喜んで受け止めていた.

――――――

日本の大学院には、授業に出るのにも、この先生の授業に出ていればどこかの大学に就職を紹介してもらえるから、
という理由だけで出ている者が、私がいた頃の早稲田大学旧ドイツ文学科にはうようよ、いや、私の周りはそんな人間ばかりだった.
留学するにしても、ハクつけのため.帰国してからの就職のためで、その国で本当に鍛えようなどとは思っていない者たち.留学中1年間部屋から極力出ないで、趣味の楽器の練習とコンピュータ遊びをしていた云々.


「世界の~」 という呼称は日本ではいまは、映画監督やお笑い芸人の専売ではない.ちょっと外国に論文があると、自分を学生に 「世界の○○」 と呼ばせる大学教授までいる.


私がスウェーデンで出あった先の老教授は、世界の、というか、歴史的な先生だったが、定年になり、私の申し出を微笑んで断って独りで自分の書籍を台車に乗せて学部長室を去って行った後姿は、真に、偉大な人のそれだった.

――――――

日本人もノーベル賞をとったりすることもあるから、
日本の政治家も学者も、自分たちは世界に伍しているとおもっているかもしれないが、

日本人の大多数の大学人および企業の管理職クラスの真の向上心のなさ、世界視野での善への希求心の欠如は、いまは陋習となっているといってよい.



この国が、いつか本当に世界の国々と、その精神性のゆえに肩を並べることができる日が来るのか.


それは、もしかしたら、一見この国のエリート層・上級生活者たちのように自認している者たちの力ではなく、

民間の、名も無いような人たちが、一人ひとり海外で真によき活動をして、
その国の人々に評価され、
日本人のイメージが変容し、かつ、
そうした無名人の生き方を国内でも評価できるような、
そんな土壌ができてからのことになるのかもしれない.


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(09.02.10記)
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あるスウェーデン人男性の恋愛 事例2
- 2017/09/01(Fri) -
私が住んだウプサラ大学の学生寮、コリドーには、12名中半数がスウェーデン人の男女だったが、




その最初から、一番奥の左側が、Björn の部屋だった. 彼とは、最初からのつきあいだ.



彼は、金髪長身小頭逆三角顔細身、で、日本人女性ならばほうっておかないタイプの男性だった.

しかも、やさしい.




しかし、彼に恋人がいなかったのは、彼がだれよりも控えめだったことによるのかもしれなかった.

でも、それもスウェーデン人男性らしい、といえば言えるかもしれない.










そんなコリドーに、二年後くらいに、korridorsmammma だったメアリーがいよいよ研修医になって出ていったあと、

独りの女の子が入ってきた. マギー という名だった.









マギーは、如才ない子で、だれとも親しく話し、よく、コリドーの共同リビングでゆったりと食事してテレビを遅くまで観ていた.








男たちも、深夜までテレビを観ているから、マギーとビヨルンはなんとなくよく話しをするようになっていた.








そうして、十か月ほどたったかもしれない.









やっと、私たちにも、マギーとビヨルンがふつうとは違う程度に 「親しい」 とわかるようになっていた.


しかし、そのころでも、二人に肉体関係はまだなかったとおもう.


それでも、二人の間には、ふつう以上の信頼関係ができあがっていたのは確かに感じられた.








私は、その後、別の住宅に移ったが、いつもやさしく控えめだった美男のビヨルンを慕う娘で出て、ほんとうに私もうれしかった. マギーの人柄も私は好感がもてていたから.









ちょっと親しくなったらすぐにセックスに及ぼうとする日本人と比べて、

スウェーデン人の若い男女はかくも ゆったり 広々と 公明正大に セックスまでの道のりの恋愛を享受している.







同じ地上のニンゲンでありながら、



かくも、未開と進化の別れた種も珍しいだろう.  しかも、その種が、このガイアで一番のさばっている.






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