2017 04 ≪  05月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017 06
スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
未来は世界を知ることのうちに
- 2017/05/04(Thu) -
スウェーデン人の民族学者イリス=ヘルリッツ(Gillis Herlitz)によれば、「スウェーデン人は人前で自分の子どもを声高に叱りどやしつけるようなことはしない」という(Svenskar s.94)。この発言は、もともと、いまや移民第三世代の時代を迎えるスウェーデンにおいて、スウェーデン人側から、異文化の担い手である移民に対して自らの文化・国民性を弁明しようと意図された書中なればこそあえてなされたものだとはいえ、私たち日本人には、とりたてて驚くような事柄ではないと言えよう。確かに、それらは、家長、あるいは、親が子に絶対的な権限を有する、主として中近東の国々からの移民に対して言われなければならなかった断り書きだったろう。だが、その実例が、マーケットで自分が食べたいお菓子の前でぐずっている子どもの顔の高さにしゃがみこんで静かに目を合わせて語りかける母親、ということになると、日本人にとってもいささか痛いところをつかれた気がする人も多いことだろう。しかして、スウェーデン人の母親がそうする理由が、「それを見る他者に苦痛となるような行為を慎むのがスウェーデン人であるから」と言われると、もはや、おおかたの日本人の親は、そうやすやすと「私もそうだ」とは言えまい。この「他者に苦痛となるような行為は慎む」というのはどのようなことなのか。単なる、むしろ日本人には得意な、「世間体をはばかる」ということなのか。
 ヘルリッツはさらに、「スウェーデン人の親は子どもを教育していない」という外国人による非難に対して、「スウェーデン人の親も家では子どもに口うるさく言っているのである」と弁明している。このように言われると、まさしく「世間体をはばかる」ために、スウェーデン人の親は人前で自分の子どもを叱りつけないのだ、と言ってよさそうにも思える。

* * * * *
 
「国民感情」という抽象的な言葉にも確かな実態が存在する。それは、その国民が代々受けてきた学校教育のおかげで、また、各時代においては、マスメディア等によって形成される情報のおかげで、その国民が自然とある特定の事柄には特定の方向の感情を集団的に共有せざるをえない性質をもつに至った状況を意味している。たとえば、私たちが「核兵器」と言われれば、「もうやめてほしい」という嫌悪にも哀願にも似た感情を抱かざるを得ないのも、私たちが受けてきた歴史教育のおかげだ。たとえ、広島や長崎で肉親を失っていない者でも、私たち日本人は過去に生きた人から現代の者まで、ずっとそういう感情を抱かざるを得ない点で他の国民とは異なる国民感情を有する。近頃できた「勝ち組」とかいう言葉で表されているとされる人々が有する生活水準が何か人生の成功指標のように思われているのは、この時代限定の国民感情であろう。
 そして、スウェーデン人の国民感情としてあるもののうち、最も大きなものの一つが、「他者が苦痛を受けているのは見るにしのびない」という心情である。スウェーデンでは、早くから夫による虐待を受けた女性のための避難施設が設けられた。いまでは、子どもが親にぶたれそうになると、子どもが「ぼくをぶったら警察に通報するよ」と親に言うと前掲書にも書いてある。激昂した外国人がスウェーデン人と口論をして、相手の襟首をつかんでスウェーデン人に「殺すぞ」と言ったとしたら、それは立派に警察に通報する理由になる、とやはり同書に書かれているし、私は、酒の席でそういう場面にでくわし、同席していたスウェーデン人女性がすぐに警察に電話する様子も見ている。幼稚園では、日本風のアクションヒーローの変身ポーズを日本人の幼児がしただけで「あぶないからやめるように」と先生が制止する光景も見た。帰国した日本人主婦は、スウェーデンになじんだせいで、日本の母親が子どもに金切り声をあげたりおどしたりするのを見ていて苦痛になる、ましてや、子どもをたたく親は見るにたえない、と私に手紙をよこした。
 スウェーデン人の親は、こうした心情から、人前でぐずる子どもを叱りつけるようなことをしないのである。それは、もちろん、自分の子どもをどやしつけることで子どもに精神的ストレスを与えたくない、という気持ちもさることながら、もっと大きなことは、そのような光景を見せられた他人が苦痛を感じることをすまなくおもう気持ちなのだ。
 さらにこうしたことは、スウェーデンでは、なにも人間同士・子どもや女性相手の場合ばかりでなく、対動物、はては、自然環境に対しても言えることなのである。動物虐待とは無縁なのがスウェーデン人の動物に対する考え方だ。犬や猫でも、それが苦痛を感じるようなことはしたくない、という感情がだれにもある。自然の景物・貴重な遺跡もスウェーデンではたいていが柵もないままに原野・広場に放置されている。そのようなものを盗んだり傷つけたりする者はスウェーデン人の中にはいない、という確たる認識があるからなのだ。(スウェーデンがEUに加盟する際の国民投票の結果が賛成五十一%・反対四十九%と票を割った理由が、ヨーロッパの諸国人に自由にスウェーデンに入ってきてもらいたくない、という感情だった事実にもこの点は反映されている。)学生寮の前にふんだんにいる野生の大型のリスやハリネズミなども、それをつかまえてどうこうしようという考えを抱く者はスウェーデン人には絶無だ。自然に存在するもの・野生にいるものは「そのままにしておく」ことが、他者に苦痛を与えないスウェーデン人流の態度なのである。
 こうしたスウェーデン人の国民感情から生まれたのが fridlysa というスウェーデン語の動詞である。スウェーデン語はゲルマン語族に属し、英語やドイツ語と対応する単語がたいていは存在し、さらに、同じ北欧圏のアイスランド語・ノルウェー語・デンマーク語とは姉妹言語で方言同士の差異以上には違わない言語なのだが、この fridlysa だけは、スウェーデン語にしか存在しない単語である。単語の構造は、「平和」を表すfrid-(ドイツ語の Frieden に対応)と「相手が求めるままにしておいてやる」という意味を表す -lysaの部分(英語のlet 、ドイツ語の lassen などが対応)との合成語である。この、「平穏なうちにあるがままにしておく」という動詞が過去分詞になると「保護された、保護されている」という意味にまで発展する。

* * * * *

 スウェーデン人の親が人前で自分の子どもに金切り声を上げないのは、決して「世間体をはばかる」ためではなかった。日本人の「世間体」は、生活のさまざまな局面に「恥」と「禁忌」を重んじる態度の反映であろう。しかし、スウェーデン人が子どもを人前で叱り怒鳴りつけないのは、彼らが有する「それを見ている人の苦痛となるような行為は慎む」という、「他者に苦痛を与えないことを何よりもよしとする」心情こそがその根底にあるものだったのである。果たして、それを共有する国民はどこかにいるのだろうか。
 政治制度や天皇制(王制)は意図的に、文化の流行などは自然発生的に、スウェーデンのそれらを模倣している局面が実は日本社会にはさまざまな場面で見られる。しかし、スウェーデン人の国民性は、そのさまざまな特質のうちのこうした一つをとってみても、一見すると日本人と類似しているような性質でありながら、その真実のあり方は日本の文化風習しか知らない日本人にはとうてい想像だにできないような性質のものなのだった。
 私たちがよりよく人間(じんかん)にあって生きるには、また、私たちが未来に地球環境の中でよりよく生きるには、私たちがもたない知恵や心情を有する他の文化の担い手から学んで自己を変革してゆくしかないだろう。そうすることで、地球規模で他者理解の環(わ)が構築されてゆくはずである。たとえそれが、ニンゲン的愚かさから、我が身にまとうにはとうてい困難であろうとおもえる知恵・心情であろうとも、未来の世代は、その多様な袖に手をとおし続けてみる努力からのがれてはならないだろう。
スポンサーサイト
この記事のURL | 世界 | CM(1) | TB(0) | ▲ top
居酒屋の客
- 2017/05/03(Wed) -
        昔、大学のあった高田馬場や、実家のあった横浜や、その後に住んだ仙台や、恋人のいた博多
        とかで出入りしていた居酒屋の主人は、私のことをどう思い出すのか、と、我が家に通う猫た
        ちを見ていておもった。
         
        我が家は、猫の居酒屋のようだ。5代目を迎える猫たちが、ベランダ、台所、玄関、室内にい
        るので、それらに食事を出すのがひと仕事だ。刺身が好物のもの、キャットフードに鶏を焼い
        た油をたらしたものが大好物なもの、焼き肉命なもの、ドライキャットフードに缶詰キャット
        フードをトッピングしたものが好きなもの等々・・・

        しかし、オスは早々にいなくなる。時には、前日私の手に頭をつけていたものが朝に私の眼前
        でクルマに轢かれて死んだり、なにか事故で血を吐いて玄関前に倒れていたりする。

        そんななか、二代目であるメスがこの二週間から来なくなった。
        娘や孫やひ孫たちに遠慮するようになったのか。



        その猫をおもうように、私が毎日通った居酒屋のオヤジや女将たちも私がふっつりいかなくな
        ったときにおもっただろうか。そうなら、すがすがしい。



        いつだったか、昔、八代亜紀だったとおもうが、♪もいちど逢いたい~♪ という歌詞の歌を聴
        いたことがある。
        

「もういちどあいたい」
        そう、思うことが自分にあるのだろうか。
        いきなり喧嘩した恋人と電話がつながらなくなったときなどは、そう私もおもったが、

        いま、もういちど会いたいとおもう昔の恋人はいない


どうせ再会しても
いつかはどちらかが死んで訣れることになる
別離は所詮避けられない
あなたの死に顔見たくないから私が先に死ぬね、
と言った恋人ももういないのだ



そして、いなくなったその二代目も、彼女が生まれて、やんちゃだったころ、
        子を産んで苦労していたころ、その偉大さは私に教えるものがあった。

        恋人にしても、あのとき、あの場所の、あのときの我らだったから交錯することができたのだ。



        スウェーデンでの私の親友は、どこにそんなエネルギーが、とおもうほど、活動的で生き生きしていた。
        毎日、私なら2時間はかかるところを1時間自転車で行き、ダンスの練習をしていた。
        あるとき、私が、外国人でいわれのないことで警察に呼ばれたとき、期末試験の朝だったにもかかわらず、
        彼が試験の前に警察に自転車で行って、私がそんな人間ではないことを言明してくれた。
        そして、その他知り合いみんなに呼びかけて、大勢を同じように動かしてくれた。
        署長は、私に、「きみはいい友人たちをもった」 と言った。


その彼が、私の帰国すぐあとにガンで倒れたとその弟からメールが来た。


Jonney Nilsson


きみも偉大な私の知友だ。


もういちど会いたい、なんていわない。




ありがとう。きみのおかげで、いま、私は、いる。



s





        
この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
Christian Kampitsch
- 2017/05/02(Tue) -
私は、スウェーデンのひと冬、毎朝新聞配達をした年がある。
留学した最初の冬だ。
こごえそうな北欧の冬も、スウェーデンの二大紙と地元紙をかかえて雪をけちらしてポストからポストへ、建物の中はまず最上階にエレベーターで上ってから(ひとときの暖と休息!)一気に階段を走り降りながらドアからドアへと新聞をつっこんでいくと、終わったときには汗みずくになっている。

そして、汗が冷たくなる前に帰宅してシャワーを浴びないと・・・・・・たいへんなことになるわけである。

私は、別に金に困っていたわけではなかった。文部省からの奨学金を節約すれば生活はできた。

言語学科が希少な日本でドイツ文学科の大学院にいた私は、北欧では本来の比較言語学を専門にしていたものの、日本に帰ったらドイツ語の教師になるしか道はないとおもい、スウェーデン人がどんなふうにドイツ語を勉強しているのか見ておこうと教室をのぞいたときに、後に親友となる男と出会ったのである。

彼の姓は、Kampitschという。後半の綴りからわかるように、ドイツ系の名前で、片親はオーストリア人であった。

彼、カンピチ については、今後、たびたび私のブログに出ることになろう。

そう、きょうは、新聞配達のことだ・・・

彼は、いつも教室の後ろで鉛筆を噛んで授業とは無関係の本を読んでいながら、急に教師と論争を始めるような学生だった。少なくとも、北欧最古の大学である。しかし、彼の高踏的な態度と、それを許し、彼との教室を縦断しての論争を愉しんでいる教師ともども、日本の大学にはない、真に自由な学問の場の所産だった。

そんな彼は、優秀なのに午前の授業に来ないのである。それは、就学補助金をもらいそこねたために新聞配達をしなければならなくなり、それで、習慣上徹夜で勉強したあと働いて、毎朝疲労しきって、午前中起きられない、という悪しき循環を起こしていたからなのだ。

私は、授業をおもしろくするため、彼を教室に呼ぶべく、彼の仕事を手伝うことにしたのである。

無償で? 無論だ。しかし、私にも、密かな代償はあった。
私は、スウェーデンに行って3か月で日常のスウェーデン語は使えるようになり、学術的なスウェーデン語の論文を直してくれる先生も大学がつけてくれたが、若者間の語彙や隠語はなかなか学びようがなかった。

しかし、そんなカンピチとひととき夢中で何かをやれば、きっと、教室では教えてもらえない口語表現に習熟できるだろう、と私は考えた。

・・・そして、事実、その通りになったといえるだろう。

そうして、単に、スウェーデン語学習以上の成果として、彼カンピチは、私にはかけがえのない友となり、私のピンチをその後幾度となく救ってくれることになる。彼は、いまや、かつて熱烈に片思いをしていた女学生と結婚し、子どもの写真をインターネットで送ってくれるようになった。


追記:当時、我々が愛した、ウプサラ大学ドイツ語学科の文法・作文の老教師Kennethが、私が帰国してから亡くなった。ここに、あらためて、すばらしい時間をくださったことに感謝を捧げる。

(本記事は筆者旧サイトにおいて2005年に書かれたものである.)





そして、また最近、二人目の娘の写真も来た.


Agnes と Sonja が、私がスウェーデン語訳した日本の
『100万回生きたねこ Katten som levt miljoner gånger』 を読む日が
いつか来ることを願う.

(2010.7.11.記)






ch

この記事のURL | スウェーデンという国 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
人の品質
- 2017/05/01(Mon) -
(本記事は、2007年10月12日に書かれたものである。)

高校時代の同学年のクラス会のサイトがあるのをきょう知った。
なつかしい名前をいくつも見た。私の記憶では、みな、高校時代のままの顔だ。


それでよいはずだ。


2年前に、高校1年のときの担任の先生を訪ねたことがあった。
その時のことを書いた旧ブログを思い出した。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


小学生や中学生のころの私は、おとなである教師や年上の従兄たちなどに無条件の畏怖を抱いていた。

自分の知らない世界を知っている者への畏敬の念である。だれもが年少時はそうとは限らないだろうが、私はそうだった。

自分が20代30代になるにつれて、過去に畏怖したおとなたちと同じか彼らを越える年齢になって、その畏怖の念が消えて、何か滑稽な思いとともに、年配者にみていた神秘も消えていった。

そんな時、仕事で、高校1年時の担任の先生に会うことになった。
その先生は、当時は20代後半だったが、父親ほど年の離れた教師に対してよりもずっと深刻な距離感を私は抱いていた。
クラスみなが、あの先生にはかなわない、あの先生なら 「人類の標本」 になれる、と本気で思っていた。
私は、その先生とも距離感が埋まっていることを期待して、心愉しく会いに行った。

m


先生は、白髪と顔のしわこそ目に付くようになったが、立ち居振る舞いも、口調も、30年前と変わりなかった。
先生と同じように身体を鍛え、先生よりも長い期間にわたって大学で研究生活を積み、高校教師ではないものの、予備校で教え、学習図書の編集もいくつかしてきた私は、先生の人生経験に迫っているはずだと思っていた。

しかし、先生の前では、私は、やはり、毎日雑巾のようなラグビージャージを着て走り回っていた高校生時代とかわらぬ 「高みへの距離」 を感じたのだった。

人間と人間の差は、無論、年齢によっても生じうるが、それだけではない、「人間としての品質」 とでもいうようなものによってももたらされるものなのだ、と私は悟った。


社会の中で、研究室の中で、その言動是認すべからざる人間を数多く見てきたが、自分にはまだ仰ぐべき人格がこのようにある、ということを知って、往路よりははるかにずっとすがすがしく朗らかな気持ちで帰途についた私だった。


m
この記事のURL | 我が基層 | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。